ここ5年くらいでしょうか。

何に対して無力なのか。その判断が早くなってきたような気がします。

ムダな怒り、長期間に渡る衝突、すれ違いによって起こる悲しみが薄くなり生きやすさのベースが獲られた感覚があるのです。

逆に言えば以前感じていたような激昂や凍てつくような孤独感、他人を巻き込んで味方につけようとする焦りがない。

そんな感覚が芽生えています。

 

つまり

無力な環境、無力な出来事であると認める受容の早さと深さ、他人はコントロール出来ない事をを教えられた5年間だったのかもしれません。

 

 

これから12ステップに取り組む仲間たちへ。

その姿勢は既に、あなたを苦しめている依存からの回復の始まりだと僕は思っています。

しかし一歩目の階段は【築いてきたプライド】の分、人によっては、かなり高いです。

 

何十年も生きてきたのに

【あなたは四つん這いでヨチヨチ歩きを始めた赤ちゃんです】と言われて

なんとなく【その通りです!】と答えたのは良いものの

仕事で稼いだお金で好きなものを買い、自分が過ごしやすくなる環境を築いています。

 

全て捨ててくださいと言われても意味不明だと感じるのは当たり前です。

あなたに何が分かるの?って思ってしまうんです。

唯一の楽しみを取らないで!そういう感覚が漠然と襲ってきます。

さっきまで赤ちゃんだと言われて認めてたフリをしてたのに(笑)。うまく行かないと気分を害してしまう。。

困ったもんです。

12ステッププログラムを始めてもステップ1で引っ掛かり先に進めない人が多いというのはハタから見ていて感じることが多いのも事実です。

無力を受け入れる

最初にして最大のヤマ場です。

 

  

そういえば、ここ2年はコロナ・コロナのパンデミックなので無力は分かりやすく体験されているかもしれません。

罹患するまで無茶をして、高熱や肺炎症状を起こしたとします。

あなたの気合で熱を下げ、ウィルスを身体の中で死滅させてください。

または高熱などの症状が出なくてもウィルスを身体に取り込んだら瞬時に死滅させてください。

どちらも出来ません。

僕たちには抗体が無いからです。ウイルスに対してチカラ(Power)が無い(less)。

闘っても仕方ない。無力の相手とは、そういうモノなんです。

必死になって闘い、疲れ、助けを求めても助からないんなら、その状況、その感情には無力なんです。

ここ5年の話は次回書くとして、今回は僕が無力を受け入れられた最初の経験を書いていきます。

これからステップに取り組む皆さんにとって、少しでも御参考になれば幸いです。

 

僕は、心が荒れ果てた状態で自助会に繋がってました。

誰が僕を治してくれるか分からないけど、治してみやがれ!

という気持ちで、自助会に行きました。

誰にも心を許さず、とにかく絶望の淵に居て、僕はずっとイライラしていました。

僕の【最初】を目撃した人は覚えてるはずです。

自助会には遅れて入室し、後ろの方でふんぞり返り、訳もわからず会は進行する中で

「では最後に入ってきた仲間、一言ありますか?」

と、まるでベテランが祝辞を述べに来たような雰囲気が拡がる中

「初めてなんで何を話して良いか分かりませんがケーキ戴きました。ありがとう。」

と伝え、一瞬で会場をザワつかせたのが僕の最初です。

新人のくせに態度がデカいアレが、ギャンブル狂さちの姿でした。

当然、会社では先輩と衝突し、後輩には怒りまくって誰からも好かれずに孤立していました。

それでもイイや!と【孤高の人】を演じていました。

心の中では、ずっと寂しかったのに誰にも相談できませんでした。

そういう生き方しか出来なかったんです。

家庭内では言葉無く、借金の懺悔、見えない未来を後悔する日々を過ごす・・・

いや、過ごさねばならないクズでした。

そんな中、懺悔の行為として自助会には行き続けました。

回数を重ねていく内に自助会のメンバーが話すキーワードを僕は何となく気にし始めました。

依存症は病気。生きられるのは感謝。小さい頃の体験。色んなことに共感する。似たような経験や境遇。

 

ヒドイ経験をしているくせに妙に落ち着いた風貌の人がいる。

気になるワードを発した人に声を掛けフェロー時間に詳細を聞きました。

一番、しっくり来たのは、どうして僕だけ・・・どうして私だけ・・・と感じて

周りに居る人と自分は何かが違う

という感覚が一緒でした。

そこにシンパシーを感じつつ、メンバーを見渡すと、

僕が大きな勘違いをしていた事に(後に)気づくのですが・・・。

「もしかして自助会というのは運の無い人生を歩まされている人たちの集まりなのか」

 

僕は僕自身にも仲間たちにも間違ったレッテルを貼りました。

人生が好転しない人たちの集まり。

※それが間違いだとも気づきませんでした・・・。

 

ある時、シンパシーを感じて尊敬に近い感情を抱いていた仲間が

12ステップを通じて気づいたことがあると前向きな話をし始めました。

あ、いいなぁ。僕もそう考えられるようになりたいなぁ。

僕はジャイアンみたいに

「俺にもそれをくれ!」という気持ちが強く、あれだけ荒れ果てた心理状態で自助会に来たのに

この人なら僕を同じように感じさせてくれるかもしれない。と希望の光が見えたような気がして

治してみやがれ!という虚勢より、その仲間が僕をきっと治す!という気持ちに変わったのです。

それも本質的には間違いなのですが(笑)僕の回復への瞬発力とか原動力に繋がったように思います。

ほどなく僕は【輝き始めた仲間】にスポンサーシップをお願いしました。

しかし神様の巡り合わせによってスポンサーは東京の会場の初めて会った人になりました。

完璧主義の僕は、スポンサーシップが実際に始まるまでに僕は何度もBBを読み返しました。

 

史上最速かつ最高の回復者を目指して猛烈に勉強し始めたのです。

 

しかし仕事でもプライベートでも忙しいスポンサーの時間を

毎日、僕の為に使ってくれる訳ではありませんでした。

スポンサーの子供が小さく家庭に軸足を置きながらの自助活動は大変そうでした。

このままでは史上最速は難しそうだ。

僕は、12ステップの進みが遅いのをスポンサーのせいにし恨みを募らせていきました。

あまりにも僕のクレクレがウザイからかスポンサーは子供を寝かしつけた後

近くの公園で月明かりを頼りにBBの読み合わせをしてくれた時もありました。

 

今考えれば、とんでもない事を押し付けてしまい謝罪と感謝の念でしか無いのですが。

たまぁに埋め合わせしてるつもりですが、この場を借りてスポンサーには猛烈に感謝をしたいです。

さて、当時の僕は思い通りに進まない全てにイライラしていました。

そう、せっかくステップを始めたのに何も変わらなかったのです。人を恨み、人に怒り、【オレ様】が前面に出ていました。

その感情のままでスポンサーと向き合ってもステップ1の言葉は耳に入ってきません。。

私たちはギャンブルに対して無力であり思い通りに生きていけなくなっていたことを認めた。

 

(だから自助会に来てんじゃないか!ステップ1なんか余裕だから早く次に行ってくれよ・・)

 

ステップワークでスポンサーが発した一言に引っかかった。

これが無力を受け入れる最大のキーフレーズになりました。

僕たちはギャンブル、お酒の人はお酒。共依存の人は人、感情の人は感情に対してなんだけど、共通項があるんだよね。

それは、自分のこと以外は全て無力だということ。

電車が遅れて会議に出られない。

掃除を真剣にやったのに、少しの汚れで怒られた。

お礼を言ったのに無視された。

ファストフード店で後ろの人が先に呼ばれた。

おばあちゃんに座ってもらおうとしたらオジサンに横取りされた。

 

感情の浮き沈みしやすい、こういう出来事に対して僕は確かにムダに闘ってきた。

 

スミマセン、電車が遅れて出られませんでした。

もう一本でも早めに出れば遅刻は避けられたけど自分が選ばなかった。

掃除後の汚れで怒られたら、次回から気をつけますと言えば良い。

きっと虫の居所が悪い悪かっただけ。イライラするのがムダ。

お礼を言ったけど無視されたのは相手のコミュニケーション能力の問題。

ファストフードにも作りやすい順番があるし、オジサンは心臓病かもしれない。とかね。

 

発想を変える。初めての感覚だった。

スポンサーが発した【全てのことに無力】というのが腹オチして、僕は環境や感情を色メガネ抜きで見渡してみた。

全て結果として仕方のない事だった。僕はムダに闘っていることを思い知らされた。

パーンと風船が割れるように、今まで頑張って闘ってきたことが弾けて無くなった。

僕に無力を受け入れる姿勢が出来たと同時に涙が出てきた。

なんてラクなんだろう。

闘う相手が居なくなりました。

不戦勝の連続です。

力を抜いて良かったんです。

敵はいない、無敵なんです。

さぁ、次は何をしたら良いんだろう!

楽しみながら、12ステップの次の段階を受け入れる気持ちになりました。

そして自助会でメンバーを見渡すと、運の無い人生を歩まされている人たちではないことに気づきます。

自助会メンバーは、あるアディクトに対する耐性が無くなり、それが原因で

心身のバランスが崩れ、同じようなように耐性を失った経験している人たちの集まりでした。

誰でもなり得る可能性がある大変な病気でした。

苦しみは共感され、この会だけで秘密は守られるから吐露できる感情や言葉がある。

その繰り返しの中で、ある時、急に無力が入ってきたら、スゴイことですが

大体は先ゆく仲間がスポンサーとなって、その経験を伝えつつ分かりやすい言葉で教えてくれます。

でも【習う】のではなく、その感覚を一回でも【経験する】のが大事なんです。

これは一人では習得するのは困難です。

だからこそ是非、仲間と一緒に進めてほしいのです。

 

無力を認められない問題は自分の感じ方でした。

受け止め方でした。

本当に悲惨な環境の中で踏ん張ってる仲間も実際には居ますので僕が、このブログで伝えていることは

全ての仲間に適用できるわけではありませんが。

でも、他人を変えようとするチカラを、自分自身を変えようとするチカラにしてみたら、意外と巧くいくこともあるでしょう。

何十年も、しがみついた考えを手放すのは難しいです。一生を掛けて訓練する必要があると思っています。

だからこそ

最初の一歩を乗り越えてください。

その壁が高ければ高いほど、先のステップはラクに感じますから。

スポンサーを信じて。

他人を信じることが出来なければ、良くなりたい!と思う自分自身の可能性も信じましょう。

 

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