依存症のループにハマってた頃は目の前の現実に愕然とし、過去の栄光にすがり
良い思い出をカンフル剤にして、あり得ない明日を夢見て、次の日も同じ行為を繰り返す。
そんな日々を15年以上続けた僕にとって、現在を見つめられる今の自分に驚きを隠せない。
現在から過去を振り返ってみる。
昨日は仕事で他の部署からの依頼に腹を立ててしまった。
僕がとるべき行動の選択肢は3つあった。
・堂々と直接断る
・シタテに出て直接やんわりと断る
・上司に相談して決める
昨日、僕が選んだのは上司に相談して決める。だった。
この選択肢の結果、他の部署のトップから直接電話があり
「お前のところのトップが断ってきたけどお前はどう考えるんだ?」
と詰め寄ってきた。
「私に考えはありません、上司に判断してもらい断ったのであれば、それに従います」
僕は上司を味方に出来た。他の部署のトップも傷つけなかった。
更に過去を遡る。
2年前に、ある部署を任される打診があった。家族と仕事と給料を天秤にかけるような出来事。
・打診を受ければ通勤時間は2時間を超える為転居が必要
・打診を受ければ(当時の)給料+10%
・打診を受けなくても罰則はない
僕の判断は【打診を受けない】だった。スポンサーにも家族にも相談しなかったが
子供の環境を変えるリスク、妻の仕事を変えさせる権利は僕には無いから。
後日談として妻に連絡も「そりゃ正解だ」と安心の一言。
こんな感じで、どんどん過去を遡ると面白い。
もし、僕がステップ4の時に目の前にあったパチンコ屋を雨宿り先として選んでしまったら
もし、僕が二回目の手術を受けなかったら・・・
もし、僕が東北出張に行っていなかったら・・・
もし、自助会に行かずに狂い続けていたら・・・
もし、あの時、間違った選択をし続けていたら・・・など。
現在を見つめることが出来るのは一日一日、複雑に選ばされている人生の選択を積み重ねてこれたからだと思います。
しかし、それがあたかも自分のチカラで乗り越えて来られたような勘違いをしてしまっては
僕はまた大きく足を踏み外してしまうでしょう。
他人を変えられないことを理解できてるはずだった。
なのに、なぜ昨日イライラしてしまったのか?
選択はあっていたけど自分の意志なんだろうか。
僕は上司に感謝しただろうか。
生きられることに感謝する。
そんな、当たり前のことが抜けてしまっている気がしてきました。
現在を見つめて、あの頃よりマシとか、そういうステージの話をしたいのではなく
僕の根本は変わらないんだから、丁寧に、謙虚に12ステップの原理に沿って生きているか
毎朝・毎晩確認が必要だと感じました。
今日の僕にはステップ10の祈りを繰り返し音読する必要がありそうです。
みなさんもご一緒にどうぞ。
私が続けていけるように祈ります。
よりよく理解し、より一層役に立つ人間へ成長を続けられるように。
自分自身のスポットチェックの棚卸を毎日続けていけるように。
間違いをした時は、それを正していけるように。
自分の行動に責任を持ち続けていけるように。
私自身の否定的、自滅的な考え方や行動にいつも気をつけていられるように。
徹底的にチェックする頑固さを持ち続けていけるように。
いつでもあなたの助けが必要であることを忘れないでいられるように。
人への愛と寛容を、私の行動原理としていけるように。
そして毎日の祈りの中で、どうしたら私があなたの最良の道具になれるのかを求め続けていけるように。