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この話は2011年の8月頃の話です。

2010年6月に『二度と電話をかけてくるな』と父親に怒鳴られて以来、源家族とは連絡をとれていない。

電話をしたのも借金の肩代わりのお願いだった。人生で何度目かの事に父親がキレて電話を切られた。

父親に怒られたのは初めてだった。

電話を掛ける前にも半年以上連絡をしていない。

出来るはずもない。

12万円で死にかけた精神状態。。親に気分良く電話も出来ないから逃げていた。

つまり僕は2009年の中頃から2年間、まともに親と連絡をしていない。

ちゃんとブログを繋げて読むと分かると思いますが僕は2007年に親に頭を下げて借金の肩代わりをしてもらっている。

それ以来、僕は親への感謝の気持ちがギャンブルという依存行為を越えたことがなく

【ギャンブルはやっていない】

というウソの信頼関係の下、2009年までは、たまに連絡をとっていたのが実情。

2009年2月に東京本社へ転勤した時は、もう親の前で作り笑いをしなくても良いんだとホッとした。

そんな僕が、カネを無心する以外の用事で埋め合わせの為に母親にメールをうつ。信じてくれるだろうか。。

○○日に実家に立ち寄らせてもらいたい。一方的で申し訳ないが話をしたい。小一時間で良いのでお願いしたい。

今回はお金の話はしません。逆に返済について話がしたいです。ご面倒お掛けしますが宜しくお願いします。

お客さんにアポを取るように他人行儀なメール。返信は一言(分かりました、昼頃来てください)

その返信を皮切りに兄貴からメールを貰う。

『実家に行く前に二人で話したい』

兄貴にも埋め合わせの予定をしていたが実家近くに住む兄貴の家にも行くことになった。

すると結婚して遠くに引っ越した姉も『二人でまずは、話そう』と連絡があった。

勇気リンリン、恐れで戻る事のない決心をした僕は・・待ち構える源家族が怖くなってきた。

特に兄貴は真面目一徹、兄弟の性格が真逆で、絶対に殴られると思っていた。

僕をボコボコにして、親の前に付き出して、こいつは俺が釘刺しておいたから!と言われるんだろうと想像した。

姉は『どうして、こんなことになったのか』と言葉で責めてくる。過去の経験から、そんな事を容易に想像した。

まず兄貴に会いに行った。言葉攻めより分かりやすく顔が腫れれば親も許しやすいかと。※打算的な自分が顔を出した。

兄貴の言葉に驚いた。コーヒーテーブルに対面で座って言葉を発してくれた。

『悪かったな、お前1人実家に残して』

『あの家に居るのが辛かった、長男だけどカネが貯まったら、すぐに出ようと思って、まだ学生のお前の事は気にしていたんだ、だからゴメン』

『依存症は部下にもいる。話を聞いたら我が家と一緒だった。弟もそうなんだと思えたら別に不思議じゃない。仕方のないことだ』

『今、治療してるんだろ?じゃあ良いじゃないか。今日は謝りに来たんだろ?じゃあ良いじゃないか』

その昔、押し入れに僕を閉じ込めたイジワルな兄貴の姿は、そこに無かった。

お風呂に閉じ込められガラスを蹴り破って膝から流血して泣いている僕のクチを塞いで

『親にバレるだろ』

と言った悪魔のような兄貴の姿はなかった。

過去にこだわってるのは僕だけなのか?

僕が小さな頃。そんな兄貴に抵抗した事件を兄貴に話した。

『兄貴の攻撃がイヤ過ぎて台所で包丁を手に取って、お前をいつかぶっ殺すって言ったのは覚えてる?』

兄『あー、覚えてるよ。俺はいつかお前に殺されるんだろうなと思いながら居たから』

兄貴の回答は僕にとって神がかっていた。

全てを見抜き、全てを予見し数年逢わない弟の事件を知っても尚全てを許す。

殴られるはずもなく、我が家の機能不全ぶりを分かち合って終わった。

両親には同じようにはいかない。それだけは気を付けろとアドバイスをもらい埋め合わせを経て初めて兄弟っぽくなれた。

姉は、僕に対するグチ(口撃)ではなかった。僕の妻とは連絡を取っていたようで僕の回復は、たまに報告されていた。

問題は姉の資質だったようで家族の会に行って自分の話をすると家族が陥りやすい共依存の資質よりも

買い物依存や浪費借金依存が強いので、そちらの自助会を紹介された事を悩んでいたようだった。

本当に自助会に解決はあるのか?それが姉が僕に聞きたかった事のようだ。僕は姉への埋め合わせを引き合いに出して

こういう点を反省して、こういう風にしたいんだけど、どうかな?と聞くと

『私が迷惑を受けたと思ってないんだから変える必要は無いんじゃない?ギャンブルさえ辞めれば』

とのこと。それ以上の難しい話をしていない。

すでに気がついていたんだが我が家では真面目な話や5年後の話などをしたことがない。親の終活、家の建て替え、墓など。

それは、僕の埋め合わせを済まさないとどうにもならないんだが。

実家に着いた。初めて『ただいま』ではなく『お邪魔します』と挨拶をし上がり込んだ。

父親は、相変わらず将棋番組を観ていた。母親は料理をしながらお茶を沸かしていた。

先に話した兄貴も姉も既に待っていた。

姉が母と話をしながら間を繋ぎ兄貴が親父に付き合ってテレビを観ていた。

全員が揃うと僕は今日の主旨を話す。

・今回の借金の処理のこと

・謝罪に来ていて過去のウソや家庭内の悪事を告白すること

・今後のこと、返済について

しばらくは黙って聞いてくれたが母親が話を止めた。

『私は貴方を神様に祈らなきゃ一人立ち出来ないほど弱い子に育てた覚えはない』

『いつまで自助会を続けるのか、家族以外に頼らなきゃいけない宗教ってなんだ?』

『言いたくないけど、嫁さんを貰ってからオカシイ。明らかに昔の貴方と違う。元に戻ってほしい』

たった1年かも知れないが僕が続けてきた霊的な世界観から外れたコメントの応酬に驚いた。

それは返済について話そうとした時の父親の態度にも表れる。

僕が計算して過去の精算がしたいと申し出た金額を無視して

『どのくらい返済すれば良い?』という問いかけには

『少なくとも1000万円かな』と言い将棋番組から目は離さなかった。

僕が返済を申し出たのは肩代わりの300万円、海外渡航軍資金100万円、ヘソクリ、家計にインパクトを与えた

30万円に弁償金20万円を加算して450万円だった。

僕はバカにされたのではない。我が家はそういう家庭なのだ。

親に対しての1回目の埋め合わせは上手く行かなかった。自助会に対する不信感、返済計画のあやふやさ。

嫁さんと上手くいっていない疑惑は払拭したが、こちらが変わっても源家族は源家族のままだった。

兄貴以外は、居心地の悪さを認識しながらも生き方や関わり方を変えられていない苦しい家族システムだった。

ただ、責めても責めても反論しないから、疲れたのか少し涙が溜まったまま、それでも怒りは収まったようだ。

その日は空いてる部屋に泊めてくれる事になった。

これが僕の源家族の埋め合わせの1回目の結果だった。

秋口に出張で実家近くに行く機会があった時に2回目の埋め合わせを実施。3回目は年末年始。

僕は失った時間を取り戻そうとして何度も家に泊めてもらった。

そうこうしている内に母が不眠の相談や兄嫁、友人、親戚の事で色んなアドバイスを求めて来るようになった。

僕のACタイプの偏り、傾向で言えばヒーロータイプのアダルトチルドレンなので、喜んで相談は受けてしまう。

そこにカウンセラーとしての技術が加わり僕は母親から全幅の信頼を得られるようになる。

人生は雨のち晴れと豪語する僕と母のやり取りを紹介すると

様々な相談を受けた後の母の言葉

『やっぱり貴方は元々これくらい優しい子、あの時(狂ってた時)は少し何かがおかしかっただけね』

『依存症にさえならなかったら。もっと素敵な成人男性になっただろうに。』

僕『依存症になったから自分の弱さも強さも客観的に分かるようになったんだよ。』

『元々優しかったかも知れないけど、あの頃の優しさは母に嫌われたくないという打算的な子供の優しさ』

『今は、今まで本当にありがとう、これからは受けた恩を、ちゃんと還したいっていう大人の優しさなんだよ。』

『これらの全てに気づけたのは1回目の埋め合わせで否定された自助会の仲間たちのお陰なんだよ』

母親は泣いた。

自分の価値観が間違ってた事に気づいたからか珍しくハンカチで涙を拭き取るほど弱さをみせた。

でも、あの時代は。。あーやって生きるしかなかったのよ。。母は母親と父親の役目の両方を担ってきた。

父が仕事人間で子育てに関与しないバブルを生き抜いた人、母は母親であり子供にとっては父親でもあった。

お疲れ様。

涙を拭く母を僕は見守るしかなかった。

時間は掛かったけど僕は源家族と新しい関係を築いた。父との関係は父の身体的病が起こる度に少しずつ近づいた。

なんといっても、こちらはガンサバイバーだ。我が家の中で最も重い肉体的病と精神疾患を同居させた僕は

いつのまにか家族の中心人物になっていた。今では、今までの中で最も仲の良い家族関係を築いている。

また妻の両親は傷つけられた娘からの報告を聞いて機嫌が直っていた。

僕は妻の実家に行き両親と僕の3人になった時に埋め合わせを実施した。

お義父さんは日本酒を出して、とにかく呑もう。と言ってくれた。

我が家の両親とは違い依存症を調べ自助会の有効性と12ステッププログラムについても勉強をしていた。

本当にその通りに出来るなら、さち君は立派な人間に違いない。目の前に座る僕がそう写ったのか

お義父さんは日本酒を飲み交わす事で表現してくれた。

このヤマ場を乗り越えた僕は、近しい友人、親戚、過去の友人へ次々と話をし埋め合わせをしてきた。

1年目の埋め合わせの時には先にも経験したように、その時にしか出逢えない埋め合わせ対象者が

なぜかタイミング良く現れた。スポンサーいわく、さちさんは神様に愛されているからタイミング良く逢えるけど

本当は努力してアポをとって・・ってやるんだよ!とスポンサー泣かせなハイヤーパワーの導き。

1年目に埋め合わせ出来なかった人も多くいた。単純に実家におらず行方が分からない人たちだ。

FacebookなどのSNS を活用し埋め合わせ対象を探す。最も強烈な埋め合わせは2011年ではなく2012年にあった。

これはこれで別のタイトルで書くつもりです。

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