(僕の背景)

小学校、中学時代はバスケ部のキャプテンでした。

幼なじみのT君(副キャプテン)と二人で、小学生のミニバスから、というか小さい頃から

身体の大きな兄貴たちとバスケばかりやってたから、自然にうまくなり

地方大会では、ほぼ優勝する。

県大会でも上位に食い込む実力がありました。

そんなT君も僕も小さな頃から変わり者でして

自慢すべき【選抜のお誘い】は断わり、いわゆる代表選手にはならなかったのです。

その理由が子供っぽくて面白いんです。

小学生時→ファミリーボクシング(ファミコンのソフト)がしたいから土日は取られたくない。

中学時代→「勉強に専念させたい」と親に言わせたのです。

しかし良く考えたらファミリーボクシングの話は、T君と僕の二人だけの秘密合意で

対外的には「勉強を優先したい」と伝えていたことを二人で思い出して笑っていました。

当時SNSなんかは無かったので人の噂話を人伝いによく聞いた時代でした。

「俺はT君の方が上手いと思う」

「いや、さち君のスリーポイント率すごいぞ」

「あの二人、選抜断ってアメリカに行くんじゃないか?」

僕たちは噂をされるのに馴れていた。

比較されても、それを刺激にして高めあう仲だったから。

要するに目立つのが好き、お互いに負けるのが嫌いな二人だったんです。

試合が終わった日でも家の目の前の道路でバスケットボールが跳ねる音が聞こえる。

T君からの誘いである。毎日のルーチン。

どちらかがどちらかを誘う。

1 on 1は決着がつかないので、いつも遅くなる。

「ご飯だよ。いい加減やめなさい」道路を挟んで、どちらかの家から声が掛かると、その日は終わり。

そんなバスケバカな僕が高校バスケ大会のデビュー記憶を消すことになるとは。。。

(記憶から消した2日間)

T君と僕は違う高校を選んだ。

「県大会で当たるように頑張ろう」

どこかの青春ドラマさながらの出発だった。

僕が入学した高校は万年一回戦敗退。

T君の高校もそうだった。

僕らは初めて違う道を歩いてお互いのチーム押し上げることにしたんです。

3年生が抜けた秋の大会で背番号14(2軍の番号)を貰い僕はスタメンで出場した。

勝った試合は今でも思い出せないが三回戦まで来ていた。

相手は野球で有名な私立高校。

若い監督がメガホンでミスをした選手を叩いたり野次を飛ばす人でした。

口ひげを生やして本当に表社会の人だろうかと疑う強烈な風貌なので記憶にうっすら残っていました。

バスケの世界では、地方大会上位くらいの実績校。メンバーを見ても中学時代から知ってる有名人は居ない。

総合力で言えば、こちらに余裕は無いが、残り7分で14点差の優位な状況でした。

サッカーの勝ち試合みたいにパスをタラタラ回して相手がイライラしてきたら攻めて加点すれば勝てる点差。

(よし、こいつらにも負けない)

僕は高校バスケを全力で走り切る体力こそ無かったが勝ち方を知っていた。

そんな中

「その14番を潰せって言ってるだろ」

今の時代では考えられない怒号が相手の監督から発せられた。

相手のキャプテンが必死になって体当りしてくる。

(僕の実績をナメるなよ。高校デビューとは違うんだ)

執拗な体当たりを交わし僕は淡々と加点を続けた。

当時は読んでいなかったがSLAM DUNKの三井寿のようなナマイキさが

相手をイラつかせたのは間違いなかった。

※そうです。僕は負けず嫌いで本当にイヤなヤツでした。

点差は縮まったが残り3分で9点差の優位。

先輩方に勝てるかも的な雰囲気が拡がる。

僕も、このままなら負けないと思っていた。

相手は一瞬でも早く追いつきたいのでロングパスを多用するようになった。

大きく振りかぶった時に僕は大の字になってジャンプ。見事に右手にあたりコート外にボールが出た。

僕が触ったから相手ボールでリスタートになる。

しかし僕は、この時に肩を脱臼しコート上で悶えていた。

タンカで医務室に運ばれコートの音が聞こえなくなっていた。

「ちょっと待って、僕が居ないと勝てないよ」

タンカから降りて戻ろうとする僕を止めて先輩の女性マネージャーに真剣に怒られた。

「試合なんかどうでも良いから今は肩を冷やしなさい」

バスケが大好きだった僕にはツライ言葉だったが先輩がヒザを壊して

女子バスケ部を諦めたのを知ってるから、言うことを訊いた。

本当は体力も限界だった。

(3分だもんな、踏ん張れるよな、先輩たちも)

試合の終わりを告げるブザーが聞こえた。

どちらかのチームの応援団の歓声だけ聞こえた。

試合を終えた先輩たちが帰ってきた。

泣いてもいないが笑ってもいない。

「先輩、スミマセン。肩外れちゃいました。試合はどうでした?」

「負けたよ。7点差で。まぁでも気にするな。良くやったよ。俺たち」

(負けた??)

混乱してる僕に監督が続けた。

「悔しいかもしれないけど、うちは強豪校じゃないんだ。うちの高校は3回戦くらいでちょうど良いんだよ。」

バスケに対しては僕の熱意とは程遠い高校だった。

僕の高い志は入部半年で打ち砕かれた。一緒に上を目指して戦う仲間が一人も居なかったのです。

なお、翌日行われた準決勝、決勝では、三回戦で負けた高校が優勝し

エリア違いの地方大会ではT君の高校が優勝した。

そんなニュースがすぐに飛び込んできた。

その日、いつものように家の外でバスケットボールが跳ねる音が聞こえてきた。

僕は自分の惨めさに我慢ができなくなり

お湯をためていないお風呂場に隠れた。

バスケットボールが跳ねる音が聞こえなくなるまで僕は風呂場でじっとしていた。

悔しくて、情けなくて、絶望感と、怒りでいっぱいだった。

それでも隠れてしまってるダサい自分にも腹が立って、僕は、ココロが耐えられなくなって

この記憶を消したのかもしれない。

自分が遠くから自分を見つめている他人のような感覚。

※あいつ悲惨だな。ああいうヤツになったらダメだ

そんな離人感が強く出た日の記憶は

僕は上手に無かったこととして

塩漬け出来るようになっていた。

※ACの特徴ですね。

僕のバスケという武器はヒーロータイプのACの拠り所。

ねぇ、ほめてほめて。お母さん、僕バスケで一番なんだよ!

その拠り所が無くなった瞬間の虚無感。生きる意味。無存在感に耐えられなかったんだと思います。

僕が自尊心を取り戻しバスケがまた好きになったのは当時の大会最高得点記録を塗り替えた時。

それまでの雲隠れを一蹴するかのようにボールを持ち家の前でドリブルしT君を待つ。

T君は現れなかった。負けず嫌いな僕は、勝ったと思い込んでいた。

そうやって記憶に感情の強弱をつけて消したい記憶を消し

残したい記憶を強く覚えてるのかもしれない。

依存症もそうですよね。勝った記憶だけ残す。。

(なぜ今年思い出したのか?)

この記憶を取り戻したキッカケは【相手の監督】でした。

このGWに帰省したのですが、良く似た風貌の人が実家近くのスーパーに来てたんです。

本当に先生なのか?裏の世界と繋がりがあるんじゃないかと疑うような容姿は

30年経ってても変わりませんでした。

僕は母に伝えてみました。高校の時に脱臼して負けた試合覚えてる?

あの時の相手側の監督に似た人がそこに居たんだ。

母は試合を観に来ていた訳じゃなかったが、初めてT君のバスケットボールの誘いに乗らなかった事と

試合後、家に帰ってから茫然自失の僕との会話が出来なかった事を思い出して教えてくれた。

霧がかった記憶が少しずつ蘇った日の夜。

くったくたに疲れて寝た僕は夢を見た。

「試合なんかどうでも良いから今は肩を冷やしなさい。」

遠くから悲惨な日の僕を外から見てる僕を、今の僕が見てる。

僕が二人もいる、ややこしい映像だった。

先輩のマネージャーが僕を諭していた。先輩も泣いていた。

僕は冷や汗をかいて起きた。

夢を見ていた自分を認識してから現実に戻った。

そうか、悔しかったのか。。。

初めて霧がかった記憶が鮮明に戻ってきた。

トイレに腰を下ろし僕は泣いた。

そして16歳の僕に感謝した。

君のおかげで僕は今を生きています。

今の僕は過去の僕も含めて好きになれる生き方をしています。

ありがとう。もう隠れなくて良いからね。

お風呂の中で耳を塞いでいる16歳の僕は笑って消えた。

僕がこうなれたのも仲間たちのおかげだ。

僕にはまだまだ歪んでいる認知があるだろう。

そういう謙虚さを忘れずに日々12ステップに取り組んでいきたい。

追伸 T君は高校生の選抜を受けて県代表になりましたが僕は代表に選ばれなかったのも、ちゃんとお伝えしておきます。

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