『救急車は呼ばないで下さい』

ビジネスホテルの一室で意識を失い

ベットの上でスーツのまま失禁している僕を見て

ホテルマンは僕の同僚にそう言ったらしい。

確実に亡くなっている。または、尋常じゃない様子に動揺したのか。

ホテルの評判が落ちるから?かな?

ビジネスホテルで死なれたら今後の商売に響くからかな?

今思えば1分1秒を争う重体でした。救急車に乗るべき状態でした。

結局、病院まで運んでくれたのは

普段付き合いの少ない地方の同僚2名でした。

「昨日の朝から様子が変でした」という同僚の連絡を受けホテルまで様子を見に来てくれて

ホテルの指示を受け運転してきたクルマに乗せて僕を運んでくれたんです。

運ばれた病院では対処出来ず緊急指定の病院へ即転院。

ここからは救急車に乗れたようでした。

オペ開始が14時。オペが終わったのは23時近かったと聞きました。

目が醒めたのは二日後。

いや、意識が戻ったのが二日後です。

最初に目が開いたときに目の前に居る妻を見て

『お姉さんはどちら様ですか?』

と問いかけたらしい。

時を戻して2013年1月。

年始明け早々にお客様へ年始の挨拶に出かける。ちょうど1月から新しい上司を迎えたので、平年よりも多めに飲み会が設定された。

僕は、さほど飲めないし会社の文化も飲ませる文化はない。

しかし回数の多さや夜遅くまで続くこともあり

体力的には疲れていた。

それが頭痛となって現れたか、1日のうちのどこかのタイミングで必ず頭痛が起きていた。

しかし

イブプロフェン系の薬を飲むと頭痛はひいた。

しかも1日1回飲めば必ず効いた。

だから僕は『疲れすぎ』以外を疑わなかった。

1月はお客さんを廻り上司の紹介。個別研修。

トラブルの対応など本当に忙しかった。

薬を飲めば治るなら飲もう。

とにかく乗りきろう。

その気持ちだけで日々過ごしていた。

2013年2月13日。

僕は仙台で上司の挨拶に連れ出していた。

相変わらず頭痛がするので朝食を食べる前に薬を飲んだが

昨晩、上司と呑みすぎたのか少量の水と薬を飲みきれず吐いてしまった。

慌てて、新しい薬を出し飲んでみたが、やはり吐いた。寒気がするし薬も飲めない。

インフルエンザなら、申し訳ないけど仕事は出来ない。

僕は現地の同僚が用意した車の後部座席で寝ることにした。

記憶はここが最後だった。そして、その事実が同僚が心配してホテルまで来てくれるキッカケとなった。

その後の僕は無意識の中で東京にいる同僚の電話を受けたり

『体調が悪いなら帰るか?』という上司の言葉にも

『こんなの地元に帰ったら知り合いのドクターが治してくれるから大丈夫』

と流暢に答えたらしい。

らしい・・という言葉から分かるように

僕には記憶がありません。

全ては本人から聞いた後日談です。

不思議なことにビジネスホテルに泊まる事には合意をして

住所、氏名等も書いてクレジットカードで支払いもしたらしい。

さらに部屋に入った後、頭痛薬を手にとってロビーをうろちょろしてたという証言もありました。

記憶が欠片もないのに・・・。どうしてウロウロできるんだろう。

翌日。

僕はベットの上で発見された。

そう、文頭に書いた話は、ここに繋がるんです。

僕の人生の転機は記憶を失った2月13日から

死にかけた2月14日。

そして三途の川に足を浸していた15日から始まりました。

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