12番目のステップを書こうと思ったけど、その前に言葉で整理したことなかった承認欲求と自分の関係を
明らかにしておこうと思い、初告白を含め出来るだけ素直な言葉で書いてみようと。
読み進める前にお断りしておくと
比較的、生きづらさを手放せている僕の個人的な経験と意見であり
ご自身の経験と照らし合わせて、何かが引っ掛かったとしても
このブログは、あなたを攻撃するものでも、否定するものではありません。
引っ掛かった何かにもよるけれども
考え方や捉え方は人それぞれで僕は、こう思った。
それが、このブログの大前提です。
先のブログで書いてきたように僕は比較的早めに回復の為の12ステップに取り組んでいる。
紆余曲折ありながらも
スポンサーのメッセージは素直に受け取り
神様の意思に従って生き方の改善に取り組んできた。
結果は、まだ分からない。
むしろ
寿命尽きる時に僕が生き方に満足しているかどうか、【結果】というのは人生の終幕に判明すると考えている。
そんな回復途中の僕には数多くのツールが与えられてきた。
1つはSNSを通じて自身の回復を記録する事であったり
OSMや施設、団体が運営する体験談発表の場であったり
ある匿名男性としてメディアに出て話したり
自助会を離れた個人の活動では個人名で露出し持論を展開した。
そして回を重ねるごとに僕は
承認欲求と自分の間(はざま)で自分を苦しめている事に気がついた。
僕の心の動きを時期ごとに確認すると
9年前のSNSでは何も考えずに、ただ目の前で起こる不思議を感じるままに書き綴った。
前後の脈略もなく、ただ感じたまま。
利用者の多くないSNS であっても僕の発言は苦しんでいる仲間たちに届いたようだ。
お陰さまで放置してるアカウントからでもヘルプを求めるメールを貰えたりスピーチの依頼を戴くようになった。
ここから僕の承認欲求、ショーニン・モンスターが膨れ上がるようになる。
家族の会(○○アノン ※ギャンブルの場合はギャマノン)で話をする機会を何度か戴いた。
当時、家族の会でギャンブラー本人が話すのは珍しかった。聞いてる人を不快にさせず
本人の回復のストーリーを聞く。繋がりたてのギャンブラーにはハードルが高い。僕もそう感じていた。
頑張ったね!と称賛戴く場合もあれば、うちの旦那も見習わせたい!
どうして、貴方に回復出来てウチの子供は・・(泣)
感想は様々ですが、おおむね自助会というくくりは僕にピッタリだなぁ。と感じていた。
しかし回数を重ねる毎に
次は、こんな話をしたら良いかな~
来てくれた人がどう感じるかな~等
いつの間にか、自分の素直さ、正直さが欠落し、どうすれば高い称賛が得られるか、どうすれば響くのか。
そんなことばかりを考えるショーニンモンスターになってしまったのです。
2ヵ月以内に3つの自助会からスピーチの依頼を受けた時の3つ目、終わりかけの頃に
あまりにも不正直で大きく見せようとしていた自分にイヤ気が差してきたのです。
僕は突然、スポンシーに話す機会を与えたいという理由でスピーチを断るようになった。
先日、引退表明した読売ジャイアンツの上原浩治投手は
若手にファームで投げる機会を与えたい。と発言したが
僕の場合は、だいぶ傲慢になっている自分を手放すためには自分が楽しいと思ってる事を手放すしかない。
と考えたのです。随分利己的な考えで判断していたなぁと率直に反省する。
SNSでしか繋がっていない仲間たちには、敢えて方針転換を打ち明けませんでした。
自分の中でカッコ悪い自分を、そっと仕舞っておきたかったんだと思います。
あれから、随分経ってから告白するんですから間違いないですね。
しかし、この気持ちを後生大事に隠しておくより適宜お知らせすべきと思い今日ここに記すことにしました。
強迫的ギャンブラーさちさんは一時期
他の自助会を引っ張ってきた先行く仲間たちとの接点を大事にして自分の大物感を自尊心に見立てて過ごしていました。
これは僕がキライなスネ夫のポジションでした。ジャイアンの威を借るスネ夫さんでした。
それに気付きながらも僕がとった行動は【仕事依存になること】でした。
忙しくて自助会に出られない
仕事よりも回復を優先していた1年目の志をすっかり忘れ自分のプライドを守る保身に走ってしまったのです。
自助会に通い始めて3年経たないうちに劇的に回復しない踊り場を経験しました。
ちょうど、自身の肉体的な病気からの回復時期時と重なり
神様は仕事に依存しようとする僕から仕事も奪っていきました。
もう、何に頼って良いのかも分からず、もう一度GAに依存してみることにしました。
アルコールではなくセックスに走る勇気もなく、ゲームにも依存できず、出戻り状態。
それでも仲間たちは優しかった。どんな僕であれ、受け入れてくれた。
僕が極めて自分勝手な都合で自助会を休み、突然舞い戻って来ても仲間たちは本当に変わらず優しかった。
そして、僕は自身の欠点を見つけるべく、2回目の棚卸を実施した。
去年からの変化点が何か、それについて、どう思ったか。それは自分の何が傷つけられたのか。
その裏にある自分の欠点は。。。
棚卸を見てもらったのは、スポンサーではなく先行く仲間にお願いした。
正直言えば1回目の劇的な回復に比べ成長を感じられない今の姿をスポンサーに見せたくなかった。
絶対に悪口を言わず、優しく諭してくれる仲間に棚卸を見てもらって驚いた。
『さちさんは、上司をすごく恨んでますね。仕方ないですよね、死にかけたんだから』
僕は上司を恨んでいるつもりはなかった。地方で僕が倒れた時、次の予定をこなすべく動いた上司は責められない。
ビジネスホテルで脳内出血、実は死にかけてるなんて、普通は思い付かない。
彼の判断は仕方がない事だ。
社会人の僕は理解していた。
でも、さち個人としては恨んでいた。
僕はその感情にフタをして回復した気になっていたんだ。
自分の感情に気づかないようにスポンサーへの棚卸を避けて仲間を選ぶ自分。
その仲間にズバリ指摘をされてしまい、個人の素直な感情に気づいた自分。
その感情は【回復してる人】からはかけ離れた感情だから隠したい自分。
それが他人から認められたい承認欲求から来ているとなると大変。人との繋がりを切ってでも回復に努めるべきなのか。
僕はどうなりたいのか?
足元を確認した上で自分の将来像を描く必要があった。
今のところの結論はこうだ。
僕のギャンブル依存症は
回復することはあっても完治はしない。
回復に必要なのは仲間である。
だから、仲間を大事にする。
そこに仲間からの承認欲求は極力手放す
僕の生活を支える三本柱は、家族、自助会、仕事。全てを優先出来ない場合は書いた順番に大切にする。
ただそれだけが大事であって人の評判を気にするのが、そもそも間違っていると認識する、し続けるのが重要。
僕は他人に迷惑をかけながら生き長らえている事を確認し感謝を示すことを忘れないようにする。
その活動が喜ばれようが無味無臭であろうが結果に囚われない。
ただ、1人でも多くの仲間が苦しみから解放されることを願う。
自分は神様とのパイプを磨くのを怠ったら、すぐに腐った考えが顔を出すようです。
ギャンブル依存症は完治しない・・か。
考えられてるな。
でも、もしまたショーニン・モンスターが顔を出したときには指摘してほしい。
ヒーロータイプのACにありがちな過大な承認欲求が、僕を破滅に向かわせる導火線。
顔の見えないSNS 、ノンバーバルが通じないメールは気を付ける。自分を大きく見せる危険なツールだから。
きっとそれが僕にとっての大切なハイヤーパワーのメッセージ。
僕に変えられるものは何か。
僕に変えられないものは何か。
その2つのものを見分ける賢さが得られないから毎日祈るのを忘れない。
対面式のOSM スピーカーは喜んでやらせてもらう。
これは僕が最初の頃先行く仲間の言葉に支えられてきたから。
結果を気にせずに謙虚にありがたく受けさせて戴く。
その上で承認欲求に打ち克つ。
【今後の自分】はそうありたい。