NO IMAGE

ふと目が覚めたら、病院のベッドに居た。

心音が機械から聞こえてくるし

慌ただしく看護師が走り回っているのを確認して僕は入院していることを悟った。

意識がハッキリとした2月16日。最初に知った顔を確認できたのは北海道の義母だった。

あ、お義母さん。。声が出なかったが僕に意識があることが分かると

慌てて看護師さんと妻を呼んだ。

『目が覚めました。うちの人!目が覚めました。』

なんだか大袈裟で照れくさかったけど、事態は大袈裟ではないくらい深刻だった。

場所は某病院内のICU

たまに機械から緊急音が聞こえたり

大声で患者の名前を呼んで意識を戻そうとしたりする場所。

自分がここにいると言うことは頭痛が原因で意識が無くなり運ばれたんだろう。

それくらいの理解はあり、腕に刺さった点滴などは体力回復に必要なんだろう。

そう思ってた。

それくらいの認識しかなかった。

今日の日付を聞かれ、14日に記憶を失ったのは間違いないから『15日』と答えたら

看護師に×を付けられた。今日は16日。

『あなたは1日以上寝てたのよ。』

実際には、それまでに何度か目を開けて意味不明な発言をしたり

妻を認識できない朦朧状態だった様子。

それから自分が受けた手術や状態を聞く。

まだ現実が分かっていない。

頭を剃られ

そして開頭手術をした事。

前夜、ビジネスホテルでは

頭痛薬をもってウロチョロしてた事。

何人かの電話を受け、トンチンカンな回答をしていた事。

頭から5センチ大の塊を取り除いた事。

実は、あと2、3時間遅れていたらスーパードクターでも延命させるのは難しかった事。

2011年の東日本大震災をキッカケに、何度も足を運ばせてもらった東北で

僕は死にかけ

そして命を救って貰いました。

でも、

右目は見えなくなっていました。

単純に眼瞼下垂ではなく、目を開けても視界が斜めになっていたり

2つに見えたりして

更にその2つが、まっすぐではなく

歪んで重なったり重なり具合が瞬時に変わったりして

気持ち悪くなり右目は、しばらく開けられませんでした。

ICU に居たのは1週間くらい。

その後は個室に移された。単純に6人部屋に空きが無かったからだった。

そこで初めて携帯が妻から渡され

10日間程確認していなかったメールを確認し返信。

僕の入院を知らずに困るのは自助会のメンバーだと思い一部の仲間に送信。

その後SNS で日記を書き入院は一気に知れ渡る事となる。

とにかく僕は助かった。

しかし、将来に夢を描けない状態だった。

退院前に知らされる病名を聞いて覚悟するまでの間、僕に逢いに来てくれた

仲間という名の神様たちに出逢わなければ僕は生き続けるのを諦めていたかもしれない。

NO IMAGE
最新情報をチェックしよう!

脳腫瘍、身体の病気についての最新記事4件

Created with Visual Composer