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僕自身がカウンセリングを受けたのは2010年。自分の症状を伝え、医者の判断を待つ

というのが妻との結婚生活を続ける上での前提条件でした。いわば強制的に受けさせられたのが最初でした。

僕は自分が、おおよそ依存症である事は認めていたし自助会にも通い始めていたので

依存症を治す為だけに治療費を払うことに正直違和感を感じていた。治療費は妻から借りて後日返済の約束。

なるべく回数を減らしたいというのが最初の気構え(心持ち)でした。

浅草の雷門近くにある依存症業界では有名なクリニックに任天堂の代表キャラの名前の先生がいる。

先生の著書を読み『さぁ、僕にマジックでも何でもかけて一発で治してよ!』僕は過剰に期待した。

先生は、それまでの僕の生き方・考え方を理解したからか話し方を変えて僕の高すぎるプライドをへし折った。

『僕は依存症を止められれば随分マトモで社会人としても上手くやっていける。そのギャンブルは自助会で止まっているから、このままで良いですか?』

(心の中では自分の発言に同意を求めている)

先生は、不器用にキーボードを叩いてる手を止めて、じっと僕を見て一言放つ。

『君は治さなければならないところが数十ある。とりわけ一番生活で困っているのがギャンブルだから、そこから治すのご先というだけ。』

今後は先生との診察ではなくカウンセリングを受けるよう勧められた。出費がかさむパターンに嫌気がさす。

瞬間的に先生の全てがイヤになる。医者っぽくない佇まい。口調、目ヂカラ。8年以上経った今でも刺さるその言葉。

※今はご指摘の通り自身改造(回復)中ですが(^-^;

先生ではなくカウンセラー?それまでの僕の価値観ではレベルが落ちたような感覚があり本当にイヤでした。

カウンセラーは男性、5、6才年上だろうか。こんな人に僕の何が分かるんだろう。不安でしかなかった。

1回目のカウンセリングは50分、ひたすら僕の過去と家族(主に源家族)、現在の事を聞いて終わる。

何のフィードバックもなく、静かに次回のアポを取る。モンモンとしながらも結婚生活を続ける為、仕方なく応じる。

2回目のカウンセリングは1か月後、この1ヶ月間の変化を聞かれる。僕は少しずつ何かに気づいて

実行出来ている事と実行出来ていない事があると伝える。カウンセラーは、ただ出来ている事を褒めてくれた。

お陰さまで、実行していない事もやってみて結果を伝えてみようという気になり【気づいた事】のメモをとるようにした。

僕はいつの間にかお金の事を忘れ2回目のカウンセリング以降カウンセラーと話すのが楽しくなっていった。

3回目のカウンセリングでは、ねぇねぇ聞いて聞いて!という具合にテンション高く話したのを覚えている。

そして、4回目は治療の意味を忘れハシャギ過ぎた3回目の自分の態度を反省した事もお伝えした。

僕が、どんなにテンションを上げたり下げたりしても、同じ態度・姿勢で居てもカウンセラーさん。

ずっと受け容れてくれた。ただ聞くだけではない傾聴という優しい態度で聴いてくれた。

僕は自助会とカウンセリングが、上手くマッチングしカウンセリングも結局6回で終わってしまった。

バイクの押しがけ。発電機の手動スタートと同じように人の手によってエンジンは掛かった。

そこから先の道を選ぶのは自分だと背中を押されて、いつもの生活に戻っていく。

空は曇っていたが僕の心は晴れていた。

カウンセリングは、クライアントの心に空いた穴を埋めるお仕事。穴の深さや大きさは人によって異なる。

そして、埋める時間もパワーも人によって違う。だからこそ1人1人に寄り添うカウンセラーは相当な傾聴力と技術が必要なんですね。

あれから8年以上経ち、僕は自分に出来る限りのチカラを用いて困ってる人に耳を傾けている。

癒された、自分で道を進めた。もう大丈夫です。ありがとう。全てのポジティブな反応が僕の支えになる。

心理の資格取得の話はまた、他のトピックで書くとして、僕は、あんなに疑っていた

カウンセリングにハマリ自身もカウンセリングが出来るように訓練するとは思いませんでした。

僕の人生を晴れにしてくれたのはカウンセリングがキッカケ。日本でもどんどんカウンセリングが身近になるように

僕も僕にできる活動をしていきたい。

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