緊急事態で延期した七五三参り。

先週の金曜日から月曜日にかけて妻の実家近くの神社にて執り行ってきました。

りくと君はお兄ちゃんになったのか比較的大人しく、ご祈祷中を過ごしていた。

※写真撮影の時に急に凛々しくなる所は、カッコつけたい【男の子】の愛らしさが見え隠れするから面白い。

さて、タイトルの義母のこと。

今回も寝食面だけでも随分世話になっているのに、孫の世話(娘の手助け)をした挙げ句、月曜日、空港で二人になった時に

「次は、さちおさんが希望するものを食べましょう」

と、声を掛けてくれた。

嬉しかった。照れくさかったけど、素直に嬉しかった。

最近はクロコとなって子供のサポートをするのが当たり前で【子供の為に】食事や行動を決めている中

義母は、そんな僕の様子を見て気にかけてくれたようだった。

 

思い出すのは20年前、婚姻届を妻の両親に出してもらった(注:僕たちは海外に在住してたので)

その時に、妻の実家では次のような会話がされたらしい。

「家族が1人減っちゃったわね」

「違うな。息子が1人増えたんだよ」

そんな感動的な言葉を貰いながらも僕は依存症が暴発して家族の皆を巻き込んで迷惑を掛けた。

原家族に勘当されていた債務整理時代の当初から

「依存症は病気でしょ、病気なら治し方がある。調べた結果、自助会に通うのがベスト、そして、それを実行してるんだから悪くないじゃない?」

と普通通り接してくれて尊厳を保ってくれる対応をしてくれた。

 

正直、僕は実家に帰省するより妻の実家に行く方が気持ちが楽になる。

勉強熱心で愛情を行動で示してくれるのである。

僕が、東北で緊急手術をして意識不明から復活して最初に顔が認識できたのは義母だった。

妻の連絡を受け原家族より先に駆けつけてくれた。

もう、一片の疑いもなく家族の安らぎが、そこにある。

一緒に居たいと思えるのである。

そんな義母は義父の死を経て入信する事となる。

生まれ変わりの日を僕の誕生日と同じ日にして

「さちおさんと同じ誕生日になりました」と

連絡をくれる。

家族の温かさに触れると僕は背負ってきたヨロイを脱げるようになる。

それは妻の家族と出会った20年前から徐々に出来るようになったように感じる。

話を、空港での会話に戻す。

「僕が食べたいものは、夏だったらジンギスカンですが年末年始なら特製のスキヤキです」

義母は驚かずにニヤリとする。

20年前から、年末年始のイベントは酒を呑み、スキヤキとソバを食べること。

そして腹を割って話すこと。

原家族では、なかなか出来なかった、心に響く話し合いがしたい。

僕の気持ちは伝わったようだった。だから義母はニヤリと笑ったんだと感じた。

コロナで集まれなくなったからこそまた、皆で集まって義母の作るスキヤキを囲みたいね。

そんな小さな夢を分かち合えたステキな4日間でした。

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