おおよそ、言葉を喋りはじめる一歳前後には、マーとかダーと一言話す程度
先輩ママさんたちは『男の子は遅い子が多いから』と慰められ、最初は本当に子供の性格上、ゆっくりなんだって
信じていた。3か月後には話すかも知れないし、、、その為には歩けると良いよね。
世界観拡がるし。
妻との会話も、慰めあいが多くなった。
18カ月が過ぎた頃、あんなに小さく産まれた我が子は体重こそ成長曲線の下限ギリギリでしたが
身長は標準程度まで大きくなった。
この子は遅いだけ。それを発達障害と言われても大丈夫。身長と同じく、すぐに追い付く。
その証拠が上の写真。
電話の受話器がシャワーに似ているので頭から水をかけようとしている。
1つ1つの行動に意味を持たせ始め成長を感じさせる日々を過ごすようになる。
しかし慎重派というかビビりと言うか相変わらず立たない。
いつかは話すようになる。
いつかは立てるようになる。
子育てのストレスに見返りを求めてはいけないが、腰痛や寝不足の代わりに得られるもの。
子供の笑顔、子供の成長。
実際にかわいいんです。親は皆バカでしょうけど、何て言うか、、整ってるんです(笑)。
僕は小さな頃は後頭部とオデコが出ていたので体が通れる隙間でも頭で引っ掛かり笑われる程不恰好でした。
誰に似たんだか。
掴まり立ちをし始めたのは一歳二ヶ月頃からですが、支えが無くなるとハイハイに戻る。
もう、公民館で出逢う子供たちは誰もハイハイをしていない一歳児クラスで、歌わず、踊らず、真似せず
ただ好きなようにハイハイして、疲れたら潰れて寝る。明らかに出来る事が人と違ってきた。
一歳児クラスへの参加を諦めかけた時、奇跡が起こった。その奇跡は説明文もないLINEの写真で送られてきた。
え?
立ってる?
僕の質問は未読のまま、帰宅して妻と話した。今日、一人で立ったんだよ。嬉しそうに話す妻。
そこからは何度も何度も立って歩くチャレンジを繰り返した。病院の先生や発達支援の方は
『ハイハイの期間が長ければ歩き始めたら早いですよ』
と言ってくれた。実際に2歳になる頃には走り回っていた。
運動発達が先で、その後に言語かな。
言語発達を期待した二歳時には話すことは無かった。
ゆっくり、というには、ゆっくり過ぎた。
二歳半健診の時、そこで初めて発達障害疑いと診断された。
なんとなく、というか正直に言えば発達に詳しい僕ら夫婦の間では
・自閉症
・発達障害
は分かっていた。
歩くようになったら両手を広げてぐるぐる回り出した。兄貴の子〈甥〉が自閉症で常同行動、テレビCM やセリフのリピート
会話が続かず自分の世界観に浸る所は10年以上見てきて、どうすれば彼にストレスがかからないかを考えてきたし
自助会のお陰で色んな人と出会えたので病名と傾向は経験則からも本からの知識からでも得られた。
結果的に僕は自分の病気と向き合う上で心の問題、発達、精神疾患と向き合う期間が、やがて10年になる。
10年真剣に勉強したら医者になれたかな?〈頭使いたくないので、もうイヤですが〉
我が子の問題はそれ以外にも障害があるかどうかでしたが三歳を迎えた健診で
・軽度から中等度の知的障害の可能性
の指摘を受け児童相談所へ。
同様に知的障害の診断を受けました。
僕が同行していないので否定的になりすぎるのも良くないのですが先に書いた通り僕ら夫婦は詳しい人たちと理解頂き
読み進めてほしいのですが
子供が集中出来る環境にないまま、おそらく旧来より引き継がれている試験項目で子供の出来不出来を判断し
定量的な点数によって一発採点の下、子供の障害とレベルを当て込んでいるように思えた。
少なくとも僕が聞き取った内容ではそのように聞こえた。
僕は僕の発達障害も認めるしアスペルガーや依存症によって生きづらさを抱えたまま中年まで生きてきたことを理解している。
我が子に発達障害があったとしても知的障害があったとしても不思議じゃない。それは親として受け止めよう。
ただ、それらの試験項目は子供の正しい能力を引き出せる環境で行われている上での判断なら仕方ないが
どうやら定型的な方法であって質実整っているようには感じないってのが率直な感想です。
かといって世の中を変えようとも思いませんが、どこかの自治体の方の目に留まり見直すきっかけになれば嬉しいな。と思います。
僕の人生のタイトルは雨のち晴れです。
産まれた時のスペックが人生を生きづらくする要素があったとしても必ず乗り越える。乗り越えされる。
少なくともキッズモデルが出来る容姿があります(笑)ので、モデル事務所の皆様、知的だけどイケメンモデルってことで(^-^)
子供の様子を見ながらコツコツ書いていきます。結局親バカブログですが、よろしくお願いします。