2011年に12ステッププログラムを始めた時の話から現在に至るまでの父親に対する感情の変化を書こうと思う。

相変わらず長くなりそうなので3つの場面に分けて気持ちの変化をお知らせします。

場面1 インナーチャイルド暴発

初めて書いた恨みのリストに父親は載っていなかった。理由は簡単だった。幼少期から

【寝ている父を起こしてはならない】【起こすと怒られるから静かにしなければならない】

小さい頃から関わっていないし大きくなってから留学も行かせてもらったから恨む必要も無い。

僕の白黒判断では父はシロだった。

ステップ5の分かち合いをした時、スポンサーから、お父さんとの関係が薄いのは可哀想だねと評された。
ステップを始める前に通ってた外来の先生にも可哀想な子供だったんだね。と言われたことを思い出した。

意味が分からなかった。
本人が可哀想だと感じていない関係性を
他人から否定された感じを受けた。

GAに通い続け、仲間とラーメンを食べている時に父親と二人で行った

ラーメン屋での場面がフラッシュバックして僕のインナーチャイルドが暴発した。

キャッチボールしたかったよー。
遊んでよー、お父さん起きてよー。
テレビばっか観てないで僕とお話しようよー。
今日ねー、A君とねー。。。

ラーメン食べ終えてタバコを吸いながらフラッシュバックの残像を思い浮かべながら泣いていた。

あれっ?あれっ?溢れ出したら涙は止まらなくなった。

その感情に気づくのが遅くて一回目の埋め合わせには間に合わなかったが、次年度の埋め合わせで僕は父親に寂しかったことを伝えた。

父親は相変わらず将棋番組を観ながら僕の話は片耳で聞き流した。


この頃には父親の特性(傾向)は理解していたので父親の態度は特に引っかからなかった。
自分側の掃除だけをして帰ってきた埋め合わせになったと感じていた。

場面1は感情が呼び起こされインナーチャイルドを掴まえた経験から父親への恨みを表面化出来たのです。

場面2 サブリミナル効果の解毒

5人家族で間取りは4K。キッチンでは勉強や就寝が出来ないので、通り抜けの部屋で勉強する僕に母親は毎晩のように語りかけてきた。

あなたは、お金に苦労しないように良い大学に行きなさい。
お父さんのようになってはダメ。


上司との付き合い大事。上を目指すのよ。
お父さんはお酒が飲めないから失敗した。

酒は飲めるようになりなさい。

昇進が出来ないって団地で奥様たちから
バカにされるから恥ずかしい。

あなたは失敗しないように。
強烈なプレッシャーは、僕を良い子にしてしまった。

母親は、ジャイアン。父親は、のび太君

自分で作り上げた理解が僕の記憶に残った。

時が過ぎ、両親の終活にあわせた、マジメな話し合いが初めて開かれた。
その時に、母が僕に語った父へのディスリは姉兄の二人も聞かされていたのかを本人たちにこっそり聞いてみた。

兄は聞かされていなかった。むしろ聞かないように部屋に閉じこもったようだった。

姉は聞かされていたがニュアンスが違っていた。

父親は大学に行ける実力があったけど特待生になれる程でもなく貧乏だったので就職を選ばざるを得なかった。

お婆ちゃんに送金する為と3人の子供を育てる為にカネを貯めなきゃいけないから自分の遊び時間をゼロにして

残業などで稼ぎ身体を酷使した結果、偏頭痛治まらず寝るしかなかった。

昇進の話はあったが年上の先輩に譲ったら、それ以降20年間、昇進の話が来なくなってしまったようだった。

僕は母の話し方のトリックに気づいた。


姉には、1人の女性相談相手として事実を話すも、僕には将来の社会人として期待する母として気持ちを話していたのだ。

気持ちをぶつけられ続けた僕は父への恨みを忘れるくらい遠い存在として心の距離を置いてしまったようだった。

僕は40歳を超えて初めて父親を一人の人間として正しく見れている気がする。

場面2では解毒に掛かった時間の長さの分、尊敬の念を含めて父親を認められるようになったと感じている。

場面3 蛙の子は蛙。

6年前に僕は社内の昇進試験を受けさせてもらったが実は、その前年から試験の案内を貰っていた。

他の人たちは背筋を伸ばし、推薦状を受け取り、横綱に昇進するお相撲さんのコメントみたいなのを言わされ、謹んでお受けしていた。

僕も、同じく背中を伸ばし、受け取った推薦状を机の脇に置き、深々とお断り申し上げた。

ありがたいことに翌年度もお誘いがあったので謹んでお受けのが今のポジションで

この10月からは、もう1つ上の階級に上がる打診を受けていたのですが9月下旬に、お断りしました。

ちゃんと家族に相談してメリット(給料アップ)とデメリット(家族の時間が短くなる、無くなる)を天秤にかけて

お断りすることにしたのです。

本部長の顔に泥を塗る事になるので、さすがに今回の打診に2度目は無いと覚悟してます。

僕は依存が激しかった頃は、つま先立ちで歩くようなムリを自分に強いていました。

今は足の裏で地面の感触を確かめながら歩くことが出来ますが、イバラの道は止めておこうと自分の意志で決心したのです。

今でも、たまにブレます。本当にこれで良かったのかと。

あれ? おやじに似てきたのかも。と思い始めている僕がいる。

いまさら恥ずかしいけどさ、色々教えてくれないかなぁ?

僕はおやじに甘えたい。

これが現在地。場面3の感情なのです。

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