先日、仲間たちと二次会まで行って分かち合いをした。

そこには、あだ名(ネーム)は知ってるが、人となりを知らない仲間がいた。

僕が足を運べなくなった時期から、あるグループに繋がり、一気に回復の道を歩んできたのがよく分かる仲間だった。

話しっぷり、オーラ、ポジティブさを前面に押し出した雰囲気に気持ち良いものを感じた。

(人って、2年で、こんなに回復するんだっけ?)

そこには感心しかなかった。

トリ◯タブのハイヤーパワーが、強く正しい形で保たれていると確信できる姿だった。

僕はホッとした。

一方、僕はグループを抜けて、しばし活動の軸を【障がい児を輝かせる】方へ向けた。

様々な助けもあって活動が実を結んでいるが依存症と同じく社会全体の受け入れが進まない。

https://www.nhk.or.jp/shutoken/wr/20221013b.html

国連に勧告を受ける程、日本は弱い人たちを排除してきた歴史がある。

ゆえに依存症は、恥ずかしいものとして隠されて来たんだろうと予測する。

⇩障害者権利条約に関する国連勧告

https://www.nhk.or.jp/heart-net/article/723/

僕の結論的な話ですが依存症は恥ずかしいものではありません。

依存症に成れるほど特殊な感覚を持って育ってきている人たちです。

研ぎ澄まされた感覚を活かせば、実は社会の中で大活躍できる能力を持ち合わせているんです。

だから僕は現時点で、ギャンブルによる借金とかで困っていなくても

依存症からの回復が重要だとうったえていきます。

依存症からの回復は、仲間たちと繋がる自助会への参加が一番の近道です。

それは二次会で出会った仲間の姿が証明してくれています。思わずライン交換しちゃいましたよ(笑)

 

ギャンブル依存症者として人前に立ち訴えてきたのは、僕自身の経験です。

依存症になった時の苦しみ。

だけど、その苦しみは、ある考え方や行動、反応の仕方、育ち方(育てられ方ではない)が

集まった依存症者の仲間たちと、感覚的に、ほぼ同じだったということです。

 

人の話を聞けば聞くほど刺さるものがある。

自分の話をすればするほど得られる共感と称賛は僕を安心させたんです。

だから僕は、僕を傷つけながら生きるのをヤメました。

人をキズつけたら、先延ばしせずに、すぐにでも謝ろうと思うようになりました。

仲間たちに回復の素晴らしさを伝えようとしています。

そうやって、仲間たちに囲まれて毎日を過ごしギャンブルから離れていられているんです。

スポンシーさんが1人1人育って卒業していくと、私自身の活動が少し薄れてしまっています。

重点を置く活動が変わったからです。

でも、僕は依存症者としても

障がい児の親としても

ビクビクせずに堂々と生きています。

生意気にも悩んでる人の相談にも乗っています。

そんな僕は、機会があれば自助会のミーティングに顔を出したいと思っていましたが、

手一杯な現状を変えられずに居ました。

そんな時、仲間が動いてくれました。

「さちさんは6月で14年でよいですか?メダル買っておきますね。」

僕をパートナーとして選んでくれた仲間は、僕のバースデーメダルを用意しようとしてくれてたのです。

さて、僕はバースデーミーティングに出られるのでしょうか。

 

事情を家族に話し、僕は前向きに仲間と一緒に歩みたいと思います。

(人って、2年で、こんなに回復するんだっけ?)

その衝撃は僕をワクワクさせていますし、僕も、もっともっと成長したい意欲に駆られました。

だからこそ隔週会場を特別に開けちゃいます(笑)

※3月16日は確実に参加!

 

仲間たちへ

僕は皆への感謝を一時(ひととき)も忘れていません。

クラス替えをして、少しだけクラスが別々になっただけです。

あの頃の同窓会は、新しい会場でしましょう。

そして、懐かしい顔と新しい顔を繋げられるよう

僕も新しい一歩踏み出そうと思います。

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