ギャンブル依存症のさちです。

ギャンブル依存が、どんな症状の依存症なのかを知っていただく為に、少し私自身のお話しさせていただきます。

私は比較的、勉強も運動も出来る子でした。
中学3年生の時には、不登校の生徒に声をかけるなど正義感も強く
先生へのPRも上手だったので【模範生徒賞】という県知事表彰を受けた事もありました。

しかし進学校に進んだ私の評価は、その学校内では至って普通なレベルになっていました。

私程度の能力では、もてはやされないからか、少しずつ過去からずっと積み上げてきた
イイコちゃんから離れ世の中を斜めから見るようにになっていきます。

そんな私が最初のギャンブルに手をだしたのは高校3年生の時でした。

一緒に行ったのは進学校の同級生ではなく高校に行かなかった地元の友人でした。

1回目の入店でビギナーズ・ラックを引き当て
500円が60,000円になりました。

私は膨れ上がった財布をみて興奮し
一緒に行ってくれた友達たちに御菓子や
ジュースをオゴり1000円ずつ配りました。

『ありがとう!』『サンキュー』『1000円返って来たー、助かったよ』

私にむけられた友人たちの笑顔は、気持ちが良い快楽として私の記憶に残りました。

残りのお金は学校をサボって過ごすための資金にしました。
ある時はコンビニ。ある時はマンガ喫茶で過ごしました。
独りではパチンコ屋に入る勇気がなかったのです。

高校内の人間関係がイヤになり不登校を続けていましたが、卒業が怪しくなってくると
授業には出席して何とか卒業をし希望しない第三希望の大学に入学しました。

高校の時にパチンコに出入りしたのは結局1回きりでしたが大学生になると
ほぼ大学に通わず、頻繁にパチンコ、スロットに独りで行くようになりました。

最初は、人が落としたメダルを拾い集めたり、朝一番の当たりやすい機種
モーニング設定機だけプレイしたりして帰りましたが、だんだんエスカレートしてくると
バイト代を全てパチンコ・スロットに使うようになり、親に金を無心するようになりました。

へそくりを見つけては、それでパチンコに行くようになっていました。

当時の彼女にもお金を借りた挙句別れるなど、お金が原因で、友人や親とも揉め事を起こすようになります。

社会人になった後は消費者金融などでお金を借りました。
親に迷惑をかけたくない、妻にギャンブルやっているのを知られたくない。

昔消えたはずのイイコが私の中から出てきてしまい、誰にもバレないようにウソで生活を塗り固めていました。

例えば親には電話をして株で失敗したから穴埋めが必要と連絡した挙句、妻には内緒にしたいと裏打ち合わせまでして
妻には出張で戻らないと伝え、実家に戻り親とこっそり借金の返済をしました。

親には、もう二度と株や先物などはしないと約束し、
『今後、金銭面で迷惑はかけない。本当に申し訳ない』
と涙を流しながら謝ったにも関わらず、1週間後、依存症の考えが、ふと頭をよぎったんです。

もしかして5円スロットなら借金しないんじゃないか?レートが高かったからダメなんだ。

そして、復帰1回目のギャンブルで、私は1万円勝ってしまいました。
高校生の時に経験したアレと同じ感覚が一瞬で戻ってきてしまったのです。

それから自助会に繋がるまでに17年かかりました。
妻にも親にも会社の上司や同僚たちにも様々なウソをつき続けました。
本当の自分がどれで、今月いくら返済しなきゃいけなくて、誰にどんな話をしたのかを
全然整理できなくなってくると、最悪の考えが毎日頭の中を支配するようになります。

もう死のう。
死んだ方が楽になる。

閉店後、涙を流しながら家に帰り、玄関前で涙を拭いて笑顔を作ってから
扉を開けて、ただいまー、はらへったー、最近残業長いよなーなどと言いながら
本当に有ったことも無かったことも話し、今日一日仕事で疲れて幸せだったような顔をして寝ていました。

寝て起きて考えるのは、一つだけです。

今日勝てば死ななくてよいかも。

もうわかりますね。
そのループから全然抜けられないんです。
模範生徒賞をもらった、この私が解決できないんです。

2010年、いよいよ自分のウソに疲れ果てているときに、神様は、絶好の機会を用意してくれました。

友人宅での揉め事を聞いた妻が一言。

『あなたは私に隠し事ないよね?』

これが人生の分岐点になりました。
私が選ぶ道は3つありました。

①またウソをつく
②正直にいう
③何も答えずに事故を装って後日死ぬ。

どうしても、死んだ後に、あの人はいい人だったと思われたいんです。
良い人でいなければならないという強迫観念がある限り、正直にいうというのはできないんですね、

でも私は40分ほど涙を流し続けた後、正直に告白することが出来ました。
正確に言えば告白をしたというより借金の明細を見せて、ゴメンねという事が出来ました。

ウソをつき続けることに、とうとう疲れたんです。

おかげさまで
ギャンブル依存症の本を執筆されている心療内科に通い
その本に書かれていた自助グループに顔を出すようにしました。
正直、最初は全部、妻の指示通りで私の意志ではありません。
心療内科にいくのも抵抗があったし自助グループも依存症が治ったら卒業しようと決めていました。

でも
自助グループに来ている仲間たちは
私と同じような経験をして
同じような苦しみを味わって
同じように泣いてきた人たちでした。

こんな時、どうしたら良い?
他人には聞きづらい、借金の事、家庭の事
仕事上の人間関係トラブル、夫婦関係の事などを
相談すると、先に経験を積んだ人が話をしてくれてます。
その中に解決のヒントがあって、その通りにしていくと自分の悩みが
1つ1つ消えていくんです。
いわゆる成功体験の積み上げです。
私は、いつの間には自助グループに行くのが
楽しくなっていました。

ここにいる仲間たちが
きっとずっと私を心の底から
支えてくれる人たちなんだって
本気で思えるようになりました。

債務整理も経験しましたが、借金は
2年前に繰り上げて返済し終わりました。

今は、お金の問題ではなく、今でもギャンブルから抜け出せずに苦しんでいる仲間の為に
またはギャンブルをやめても考え方や生き方を変えられないストレスに悩む仲間の為に
そして、仲間たちに声をかけることで最終的には自分の為に自助グループには通い続けています。

正直、残念ですが、あの頃の苦しみは忘れてるんです。

でも苦しんでいる仲間たちと逢うと
自分がもっとひどい経験や考え方をしていた事を思い出します。
そうやって私は、仲間に思い出させてもらって、あのころのような考えに
戻らないよう助けられているんです。

たぶん私は、自助グループを離れたら
ギャンブルか、または依存度の高い快楽物質を求めるようになってしまいます。
依存症者は、つながり続けることで回復はできるけど、完治はできないと聞きますが
本当にその通りだと実感してます。

今まで止めた事のない期間ギャンブルを止められた事実から勘違いする仲間もいます。

自助グループを離れ、やっぱりダメだったと戻ってくる仲間たちを、私はたったの7年間で何人みたことでしょうか。
でも問題は、離れて戻ってくる数人の仲間たちではなく

自助グループを知らず
ギャンブルを止められない推定300万人以上の
ギャンブル依存症予備軍の人たちです。

ギャンブルを止める方法を知らず
家族親戚、友人、勤め先を巻き込んで
大きな事件を起こしたり
短い人生の幕を自ら下す可能性を秘めた
依存症者たちへの対策は喫緊の課題であると
私は考えます。

今日、お話を聞いていただいた皆様の中で
依存症かどうかわからないけど
自助グループに行ってみたいと思われる方が居らっしゃったら
ぜひ1回きてみてください。

自助グループを代表しているわけではありませんので個人的な見解ではありますが
同じ経験をしている仲間と繋がり続けるのが依存症からの回復への近道であると私は考えています。

少なくとも私は生きながらえ、2年前に生まれた天使のような子供と一緒に
3人で幸せに暮らしています。

その姿を見てもらう事で、依存症者にも回復の希望はあるというメッセージを体現していき続けます。

世の中からギャンブルで苦しむ仲間が一人でも居なくなるように皆さまのご協力をお願いします。

本日はご清聴ありがとうございました。

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