- 2019年3月27日
- 2021年6月23日
今があるという奇跡
2年経った僕は過去のペースを越える勢いで旅に出る。体調を気にしながら活動してきた2年間。 会社も気を遣ってくれた2年間。傷跡を隠す必要もないくらい髪の毛は生え揃い僕は少し解き放たれたかった。
2年経った僕は過去のペースを越える勢いで旅に出る。体調を気にしながら活動してきた2年間。 会社も気を遣ってくれた2年間。傷跡を隠す必要もないくらい髪の毛は生え揃い僕は少し解き放たれたかった。
抗がん剤治療を終え、いわゆる薬は手放した。ここからの1年が今後の人生を分ける事くらいは分かっていた。 毎月のMRI、血液検査。3ヶ月に1回の視力検査。何もない事を祈りながら、時短勤務を解かれた僕は日常に戻った。
僕は髪の毛が、うっすらと伸びかけた時に家に帰された。今後の治療は抗がん剤、テモダール治療と放射線治療。 後は、ガンセンターには関係ないが見えなくなってる右目の回復が必要でした。
関東に戻った僕は国立のガンセンターにお世話になることに決めた。 最もお堅いだろうし、なんといっても国立! 何かとメリットがあるだろうと打算的な考えもあったし 家からの距離や設備の充実感、キレイさが気に入っていた
意識が戻った16日以来、ずっとベッドの上。 頭から取り出した検体を病理診断の結果が出るまで 何の変化もない部屋の中で僕は過ごさなければならなかった。
ふと目が覚めたら、病院のベッドに居た。 心音が機械から聞こえてくるし 慌ただしく看護師が走り回っているのを確認して僕は入院していることを悟った。 意識がハッキリとした2月16日。最初に知った顔を確認できたのは北海道の義母だった。
『救急車は呼ばないで下さい』 ビジネスホテルの一室で意識を失い ベットの上でスーツのまま失禁している僕を見て ホテルマンは僕の同僚にそう言ったらしい。