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生きづらさを抱えた方へのメッセージ。

~僕の体験談から~

父は工場勤務。

早朝勤務から夕方まで。

または夕方から早朝まで。

僕が小さな頃は父は寝室で、ずっと寝ている人だった。

7時に僕が起きて学校に行く時には寝てる父に気を使い静かに朝御飯を食べ、家に帰ると

父は起きて居なくなっていた。

父は居ないのが当たり前。

そんな幼少期を過ごした。

母はずっとパートを続け朝御飯を作ってから子供たちが学校に行ったら働きに出て、

父が起きる前、または父が帰宅する前には戻り食事を作って内職をしていた。

ねぇ聞いて聞いて!僕が幼馴染みとの出来事などを話そうとしても母は振り返る余裕すらなかった。

僕には、こんな記憶がある。

台所に立つ母に振り向いてもらうために後ろからぶつかりながら抱きつく。小さな僕の顔は、お尻の位置にうずくまる。

驚く母は包丁を扱ってるからか。

『危ない』と大声を出し馬蹴りのように足の裏で僕を突き飛ばす。

大袈裟に言えば宙に浮いてお尻から落下。その痛手を負って以来、後ろから抱きつくのはやめた。

子供ながらに強烈な寂しさを感じたんだ。

小さい頃の思い出?馬蹴りがイヤだった。大声で怒鳴られるのがイヤだった。

とにかく怒られないように過ごすだけ心掛けた日々だった。

でも兄貴が仕掛けてくるプロレスに応戦すると今度は寝ている父が怒る。

『うるさい!!家では静かにしろ』

そう、とにかく母にも父にも怒られないように過ごすにはどうしたら・・・。

そんなことはかり考えてた幼少期。

年に一回、父の勤め先のイベントに家族で外出すれば僕は必ず迷子になる。

放送をかけてもらうと恥ずかしそうに迎えがくる。

そして、追い討ちをかけるように怒られる。どうして離れるんだ・・どうして毎回毎回・・と。

兄貴は体も大きく母から頭を何度も撫でられるくらい【良い子】だった。

僕は、どうすれば怒られないようになるのか、どうすれば頭を撫でて貰えるのか。どうすれば兄貴に勝てるのか。

その答えの1つが勉学だった。

通ってた幼稚園は新設で厳しい教育を受けられた。例えば卒園時に出来た事と言えば

アルファベットの読み書き。

足し算と引き算の二桁まで。

ハーモニカ、縦笛等の楽器。

園内の習い事は歌舞伎の真似事。

習字、小学校1年レベルの漢字など。

体の大きさでは勝てないけど小学校の算数で苦しんでいた兄貴には勝てた。

それが原因で兄の攻撃が激しくなるのだが。

良くできました】の花丸◎を貰えると必ず母に報告した。

ねぇ聞いて聞いて!僕はテストの度に誉められるようになった。

しかし、小学生になるとテストの度に緊張した。

もう既に【ねばならない】が発動したのです。僕は100点を取らねば怒られる対象になってた。

兄も姉も平々凡々と60点や70点を持ち帰っているのに僕だけは100点を取れないと言い訳をするはめになった。

母に誉められたくて100点を取ったのに100点を取れないと責められるようになった。何でだろう。。。

結果的に小学校の時に通知表は気にならなかった。ずっと学級委員長、ほぼ100点、運動でも良い成績を残していた。

でも僕は愛情に飢えていた。その感情に気づくまで30年以上掛かったが。

我が家では母が母親をし、父親の役割も果たした

父は、おそらくアスペルガーで仕事の昇進も断り、ずっと現場で同じ作業をした。

40代後半で会社を辞めると騒いだ時に保養施設のスタッフに転属できた。

会社からの配慮がなければ社会人として続けるのは難しかったか。

保養施設のスタッフとして10年以上を過ごし42年の社会人生活を終えたのだ。

※本来は身体障害または勤務中事故等で一時的に勤務するのが通常だが・・・

母はそんな父の有り様の全てを見越して父親の代わりを演じてきた。父親参観日にも母が来た。

母が来てるとバカにしたクラスメートに僕は暴力をふるって、そういう雰囲気を作らないようにした。

その頃、学校では自分の部屋にガンダムのシールを貼ったとか椅子の高さが変わる学習机に変わったとか

とにかく自分の部屋の話題が流行っていた。

僕には僕の部屋が与えられなかった。

正確に言えば部屋の数が足りていなかったので皆が通り抜ける通路の部屋が僕の部屋。

そこで寝たり勉強したりしていた。

通路で寝ている僕を父が誤って踏んでしまい転んだ事があった。膝を強打したらしく、しばらく痛がった。

でも踏まれた僕を気遣う人は居なかった。

自分の部屋に来いよ。って言えないんだよね。

兄も姉も一人になれるスペースは、そこしかないから。

この子だけ我慢してくれたら・・・という空気を僕は読んでいた。

僕は一人になれる場所はなかった。

勉強は台所でやれば良い。場所を選ぶからプレッシャーに弱くなる。だから100点が取れなくなる。

それっぽい言われ方で僕は我慢した。

低学年の時は勉強机が無かった。。

友達の前では嘘をついた。部屋は広くてウルトラマンとかガンダムとか、キン肉マンとかのオモチャがいっぱい。

机は大きくてキレイだからジュースを飲みながら勉強出来るんだよ。

全て妄想と理想だけで友達にウソをついていた。

『今度、さち君の家に遊びに行っても良い?』

というのは全て断った。ウソがバレるのと絶対に父を怒らせるはめになるからだ。

もう、この頃から友人との距離感をはかって近づきすぎないように気を付けていたかもしれない。

僕は、家に人を呼べない分、友達の家にお邪魔する機会が多かった。

そして、おおよそ他人の家庭事情と違う事は小さな頃から把握していた。

他人の家庭に垣間見える愛の形、無償の愛が羨ましかった。

でも、同じような笑顔を貰おうと思ったら誉められるようなことを何か探さなくてはならなかった。

縄跳び大会、作文コンクール、飼育係、友達を助けた。

僕は、どんなに小さな事でも

ねぇ聞いて聞いて。と母に語りかけた。

中学生になると家族以外にも目は向くようになるが、大した反抗期も迎えず【良い子】になってしまった。

体もでかく、勉強も運動も出来る。ヤンキーたちは小学校の時に僕をバカにしようとして逆に暴力を受けたので

もう僕のところには来ない。他の弱い子に向かうと僕がヤンキーの胸ぐらを掴んで脅す。

後に、自分をラオウと勘違いするほど支配的な僕は模範生徒として県知事賞を貰うことになる。

そして、それは母を喜ばせた最大の出来事として僕の自尊心があがった。

その県知事賞のお陰もあって、高校は地元でも有名な進学校に推薦で入った。その時に母と二人で初めてティラミスというのを食べた。

『お兄ちゃんたちには内緒だよ』

そう、僕が進学校に受かったから、そのご褒美だった。

30年経って分かったこと。

1つは、ずいぶん親に怒られ、怒られないよう、誉められるように努力した結果

人の顔色をうかがわないと自分では何も判断できない人間として育ってしまった事。

もう1つは

僕は愛情に枯渇していた事。そして受けられる愛の形は常に条件があった事。

100点を取ったから誉める。

→そのうち取らないと怒るに変わる

優勝したから誉める。

→頭が悪くなるから選抜は拒否するよう進言され僕は従ってしまう。

進学校に受かったから贅沢なスイーツを食べる。

僕は小さな頃から友達にウソをついているからか、それが自分を守る唯一のスベだと思っていたからか

本当の友情が分からなかった。頼られると頑張るふりをするけど、たぶん見返りが期待出来ないと頑張れていなかったり

距離感をはかりながら付き合っていたから少しずつ人が離れ、年齢を重ねるごとに孤独感を感じるようになった。

アダルトチルドレンという言葉がある。

これは病気ではない。正確に言えば解釈が定まっていない言葉であるが僕の好きな解釈は以下〈コトバンクより〉
子供のころの家族関係などが原因で、精神的に不安定な状況で育ち、成人後も生き方に悩んでいる人

元来は米国で、アルコール依存症の親のもとで育った人をいう

また、アスク・ヒューマン・ケアの説明が分かりやすいが僕はアダルトチルドレンのヒーロータイプである。

※以下参照

HERO(ヒーロー=家族の期待を一身に背負ったタイプ)

□学校では、いつもよい成績をとれるよう努力していた
□「しっかりした子」とほめられるよう努力していた
□周囲のまとめ役をつとめるため努力してきた
□責任感がひじょうに強いと感じる
□周囲に能力を評価されなかったら、自分の価値が感じられない
□息抜きをしたり、無邪気になって遊ぶのが苦手
□ミスや失敗をすると、ひどく自分を責めて落ち込んでしまう
□他の人の失敗でも、自分の責任のように感じる
□もっともっと努力しなければと、いつも自分を追い立ててしまう

僕の育ち方、感覚、家族関係は極めて機能不全家族という言葉に当てはまるものと理解頂けるだろう。

僕が、このブログで伝えたい事は1つ。

僕には、そういう過去がある。

その過去は変えられない。家族も変えられなければ僕のタイプも変えられない。

それらを事実として受け止めて未来を変えようとするとき、悩んでいる生き方にスポットをあてて

変えていけば良い。

そもそも機能健全家族って存在するのかな?その家の構成メンバーは全員幸せなのかな?

そう思えたら僕は凸凹があったとしても今幸せで、将来も、より幸せになるための日々を努力しながら過ごしている。

そんなアダルトチルドレンから一言。

自分を見つめるのはツラいです。

家族を見つめるのはツラいです。

でも、あなたはあなたです。

周りがどうであれ家族がどうであれ

あなたの人生をあなたが運転しなきゃ

凸凹道も、行き止まりも自分で見つけて

自分で解決しなきゃ。

悩んだときには仲間がいます。

小さかった頃、距離をとった友達も

今では支えてくれるかもしれません。

だから1日も無駄にせず

あなたの1日を

あなたの人生を

過ごせるよう真剣に

自分に向き合ってみてください。

もし、誰も頼れず

独りだと感じてる人がいるなら

僕に連絡をください。

sunnylife.sachi @gmail.com

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