- 2019年4月17日
- 2021年1月9日
12ステップを踏む~ドアの向こうの世界【後半】~
この話は2011年の8月頃の話です。 2010年6月に『二度と電話をかけてくるな』と父親に怒鳴られて以来、源家族とは連絡をとれていない。 電話をしたのも借金の肩代わりのお願いだった。人生で何度目かの事に父親がキレて電話を切られた。 父親に怒られたのは […]
この話は2011年の8月頃の話です。 2010年6月に『二度と電話をかけてくるな』と父親に怒鳴られて以来、源家族とは連絡をとれていない。 電話をしたのも借金の肩代わりのお願いだった。人生で何度目かの事に父親がキレて電話を切られた。 父親に怒られたのは […]
ステップ6 こうした性格上の欠点全部を、取り除いてもらう準備がすべて整った。 ステップ5を終えたのはスポンサーの家、深夜の事でした。ステップ5はお泊まりでフィニッシュを祝う。 終わった後の達成感と共に自分が欠点まみれであることを知る。『君は欠点だらけ […]
ステップ4では、自分の棚卸を実施しました。 ここからの僕は、以前のブログに書いた(四次元的な)ハイヤーパワーを連続的に感じるように導かれるようになります。
2010年の話です。 GA に繋がった時の僕の状況はこうです。 高層階に居れば飛び降りたくなる。 クルマに乗れば急ハンドルを切りたくなる。 なぜ、そんな精神状態なのか。
発表したメディアは忘れましたが当時の原稿を掲載します。 2010年1月5日(火)、僕は駅のホームの端に立たました。スピードが落ちる前の電車に身を投じる為でした。
2年経った僕は過去のペースを越える勢いで旅に出る。体調を気にしながら活動してきた2年間。 会社も気を遣ってくれた2年間。傷跡を隠す必要もないくらい髪の毛は生え揃い僕は少し解き放たれたかった。
抗がん剤治療を終え、いわゆる薬は手放した。ここからの1年が今後の人生を分ける事くらいは分かっていた。 毎月のMRI、血液検査。3ヶ月に1回の視力検査。何もない事を祈りながら、時短勤務を解かれた僕は日常に戻った。
僕は髪の毛が、うっすらと伸びかけた時に家に帰された。今後の治療は抗がん剤、テモダール治療と放射線治療。 後は、ガンセンターには関係ないが見えなくなってる右目の回復が必要でした。
関東に戻った僕は国立のガンセンターにお世話になることに決めた。 最もお堅いだろうし、なんといっても国立! 何かとメリットがあるだろうと打算的な考えもあったし 家からの距離や設備の充実感、キレイさが気に入っていた
小さく産まれた子供であっても、あまり大病もせず、鼻がグズグズしたりするものの順調に育ってると感じる半年。 2月には3000グラムを超え、3月には4000グラムを超えた。この子は、【ただ小さく産まれただけ】