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発表したメディアは忘れましたが当時の原稿を掲載します。

2010年1月5日(火)、僕は駅のホームの端に立たました。スピードが落ちる前の電車に身を投じる為でした。

首都圏では毎日のように起こる人身事故。僕も人身事故を起こし関わった全ての人に涙を流されながら

『あの人は良い人だった』

と、好評なうちに人生を終えるつもりでした。

僕には借金がありました。

生きづらさの重圧に耐えられず覚悟を決めてホームの端に立っていました。

借金の件は誰にもバレずに死にたかった。

とくに妻には知られたくなかった。

実は、その数年前に両親が私の借金を肩代わりしてくれていたからです。

更にその前の海外逃亡も、学生時の逃亡も。。

2007年の話です。

僕の両親は

『この件は忘れて反省と共に生きろ。奥さんには言わなくて良い。恥ずかしいから。』

と借金の事実をもみ消して肩代わりしてくれました。

僕は大泣きしながら両親に感謝しました。

今度は3年後。2010年です。結婚生活9年を過ぎた頃の話です。

妻は僕の借金を知りませんでした。ギャンブルをしている事実すら知らなかったはずです。

妻の目に映る僕は仕事が忙しく一心不乱に働く夫でした。

僕は毎日何らかのウソをついて、ギャンブルをしている自分を隠し通せるように過ごしていました。

飲み会に行くと言いギャンブルをする。

飲み会に行ったかのように家の近くのコンビニでビールを買い

その場でトリプルアクセルの練習のようにグルグル回り

フラフラになって帰る。

鼻をつまんでイキル。顔を真っ赤にして目を充血させて完成。

いやー、今日も厳しい上司に怒られて。やってられないんだよなぁ!!

とありもしない話をしました。

毎日、ウソがばれるのを恐れていました。

話をする時にはテンション高く保ち、笑顔を見せて、やり過ごしました。

心の底では泣き叫びたい日でも、常に笑う事を忘れませんでした。

借金の額と共に僕のストレスは限界に近付き

だんだんイライラを増していきましたが、そのうち訪れるはずの

一発逆転だけを信じて生きていました。

当時の僕が1日で20万円買った時に思ったこと。あと30回勝利を繰り返したら辞められる。。。

今、考えれば

20万円勝てる日は結局人生の中で3回しかありませんでした。

その結果、僕は消費者金融の限界額まで借金をしてしまい

両親に泣きつき肩代わりをしてもらう羽目になっていたんですが。。。

僕は自己反省と共に消費者金融のカードに1ミリ程度ハサミを入れました。

しかし、ある考えがよぎって

カードの破棄を止めてしまいました。

いわゆる病気の声が聞こえてきたんです。

1万円程度なら借りても返せるんじゃないか、今までは、ギャンブルの仕方が間違っていたんだ

悩んだ挙句、カードを捨てられず、もう一度そのカードを鞄の奥底に隠してしまいました。

使えるかどうかを確認する為にディスペンサーに向かい1万円引き出した時に、すでに罪悪感は失くなっていました。

そこから、もう一度元の世界に戻ってしまうのに時間は掛かりませんでした。

イライラした日は1万円まで負けても良い!と、自分勝手なルールを作って

結局ギャンブルに没頭しました。

そうして、両親の前で流した涙の意味を忘れ、

いつの間にか再度借金が膨らんでいきました。

2010年の1月には、2007年に肩代わりしてもらった以前の状態と同じ感覚とストレスに陥っていました。

駅のホームの端に立った僕は

こんな人生なら2度目の借金がバレる前に自分で人生を終えてしまおう

と思っていたんです。

しかし目の前を何度も電車は通り過ぎていきました。

電車がホームに入ってくると足がすくみ、一歩も前に出られませんでした。

電車が止まり、ドアが開き、人が出入りして出発しても

ホームの端に立ち、ただただ目に涙を溜めて決心出来ない僕。

異変を感じた駅職員が近寄ってきた時に僕は駅員に気が付き、慌てて気丈なフリをして

その場を離れました。

その自死未遂からは、いかに借金がバレずに死ぬか。

いかに【良い人だったのに、もったいない】と

後世に語られるようになるかだけを考えて生きてきました。

1月5日までに積み上げた借金は100万円程度でした。2007年に経験した事を考えれば、まだ堕ちきっていないはずだった。

しかし僕の心は押し潰されそうになっていた。妻が実家に残ったので得た自由な3日間。

この機会に数十万円勝って楽になるはず!

僕の心は狂っていたから、こんなことしか考えられなかった。

1月3~5日までの3日間で負けた金額が12万円。

全てクレジットカードの支払いの為に妻が用意した銀行の袋の中身。

財布から抜き取った全額が12万円。

万券が1枚も失くなった財布を見て

死のうと決めた。

僕の命は12万円よりも軽かった。

自己肯定感がゼロ。生きづらさの塊。

こんなヤツは死んだ方がマシだと本気で思っていた。

GAに繋がるまでは、それ以外の事は真剣に考えていなかったという方が正確な表現かもしれません。

そんな僕にも、神様が用意したタイミングでGAに繋がる機会を与えられました。

きっかけは友人夫婦のトラブル。

貴方には隠し事がないか?と妻に言われた時

限界まで来ていた僕の良心の呵責が顔を出し

勇気をもって告白した。

怒らないから!という言葉を信じて告白したのにめちゃめちゃ怒られました。

しかし冗談でも笑えない事実。借金は、その半年で200万円以上増えてしまったのです。

GAのホームページで20の質問に正直に答えたら18個あてはまりました。

言い逃れの出来ないくらい自分が強迫的ギャンブラーである事を知りました。

この病気は完治しない事を知り、進行性の病気である事を知りました。

ハンドブックの、ほとんどの文言に共感しました。

大物願望もあるし

友人も居なくなったし

家族の問題も抱えているし

親戚たちからも相手にされなくなっていました。

これは僕の傲慢な性格に起因している事は実は薄々感じていたのに

変えていく方法を知りませんでした。

僕は比較的に早い時期にスポンサーを見つけ12ステップを手渡してもらいました。

スポンサーシップは12ステップの分かち合い、実践、学習であると書いてありますが

正にその通りだと感じました。

家族からは勘当された状態が続いていました。

当たり前です。

ギャンブルで2度も深く借金をするなんて狂気の沙汰です。

自分の息子である事さえ信じたくないはずです。私は、家族への埋め合わせの機会を戴きました。

12ステップの奇跡的なくだりは別のブログに書くとして

僕は自分と自分の家族の人生を軽んじてた事に気づかされました。

自分の対応を変えていき、結果を受け入れる事で自分の感じ方が変わりました。

感じ方が変わったら、人との接し方が変わりました。

接し方が変わったら、周りの対応が変わってきました。

周りの対応が変わったら、ますます自分が、その中で生きているという実感に溢れました。

GAのホームグループにおいては苦しんでいる仲間に声をかけました。

自分の経験を正直に話し素直に開かれた心で接しました。

それを続けているだけで、いつの間にか多くの仲間が出来ました。

今は

自分が手渡された回復の為のプログラムを

私と同じように苦しんで、生き方を変えたいと願う仲間たちに手渡す努力をしています。

回復の為のプログラムを財産として持っているGAや他の自助会で

【生き方が変えられる】奇跡を一人でも多くの人に体感して欲しい。

自分が経験してきたステップを経験として細かく書かせて貰う予定です。

なぜか神様のタイミングが分かる経験をしています(⌒‐⌒)

12ステップを踏む~序~

↑序章、前半、後半と続きます。

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