平成も終わろうとする2019年4月末。
久しぶりに実家に、それぞれの家族を連れて全員集合した。
大事な話をする為に。
今後の話をする為に。
ここまで来るのに僕の回復に約9年。
家族の回復には50年の月日を要した。
少し早い晩御飯。
甥や姪が大きくなり、どこに連れていってもご飯で満足させるのが難しいので、食べ放題に連れていった。
お金は僕ら世代が均等に払う、、、
はずだったのに、爺婆のプライドというか全員揃ったなら私たちの役目と言わんがばかりに横取りして払う。
義兄は50才を超え超一流企業の重役。
その義兄に声を掛けボソッと一言言ってみる。
『40~50代の世代が70後半のリタイヤ者からおごってもらう文化って、どう思いますか?』
『なんだかね、、おかしいな?と思って見てるよ。でも、もう結婚して20年になるから慣れちゃったけどさ』
まともな感覚をもった人が近くに居ることで僕が救われた。でも、僕らのコソコソ話は一言で終わり。
いつもの雰囲気で場は始まる。
いつも通り近況報告等をするだけ。
当たり障りのない軽い会話の応酬。
誰々さんは誰々と最近仲良くないみたい。
そんな会話に僕は深い話をぶちこんでいく。
知的障害と診断された我が子を甥や姪が将来に渡り面倒見てもらう可能性もあることから
僕は兄姉と、甥、姪に真剣に語った。
いつもと違う真面目な雰囲気に嫌気が差したかどうかくらいの短時間。すごく短い時間で状況を伝えた。
両親は4月に金婚祝いで僕らが旅行をプレゼントしたんですが旅行の土産話を聞かせようとしていた。
母親は率直に感想をアレコレ述べて、父は
『うん、そうだね、そうだね』
と相づちをうちながら孫たちと同じく食べ放題で少しでも多く食べようと必死になってた。
両親には先に話しておいたので、親には真剣な話を、その場ではしていないが、僕は、その他の人へは一通り話せた。
まずは我が子についての話を真剣に伝えることが出来た。
食べ放題を終えて駐車場に集まったタイミングで僕が口火を切る。
孫たちは帰っても良いので、僕の兄姉にもっと大事な話がしたかった。
『親と話をしたんだけど、、、そろそろ親の終活について真剣に考えないか?』
分家である我が家は墓がない。
しかし、、親も親で九州に帰りたいとか、この土地は嫌いだとか、子どもたちで、どうしたいか考えろ!
と、高圧的で一方的な言い分を重ね真剣な話し合いをしたことがない。
『何で死んでないのに終活するとか言うの?おじいちゃんに失礼でしょ』
高校3年の姪が当たり前の指摘をする。
そんな姪に僕は諭すように伝える。
『就職してから就活するんじゃなくて就職する為に就活するでしょ、亡くなる前に亡くなった後の事を話し合うのは当たり前だと僕は思うよ』
今日の僕は冷たく写っただろうか。
でも良い。もう、正直、時間がない。
親に病気があるわけではない。築50年の家が限界なのである。
なのに家の事になると
さちが何とかしてくれる。長男が何とかしてくれる。最後は義兄が、何とかしてくれる。
そんな雰囲気を20年近くも出していたので誰も親に心を割って話そうとしなかった。20年も放置したのだ。
僕の訴えは響いた。
今まで話し合ったことのない終活について。床が抜けそうな家について。
徹底的に話をするために実家に源家族が集まった。
僕がずっと望んでいたのはこれだった。
欲しい家族の姿が、そこにあった。
20年前の僕は二回目の海外逃亡の少し前の時期でボロボロだったのでお金を無心することしか考えていなかった。
でも、漠然と家に居続けるのはイヤだと感じて居ながら借金(ギャンブル依存)と先行き不安で身動きがとれないでいた。
相談したい兄姉は、すでに居なかった。
いや、むしろ兄姉に相談する発想はずっと無かった。
兄姉に?いや、誰にも相談は出来なかったと思う。
今、両親が真剣に自分たちの過去を振り返り先を見て子ともたちに真剣な話し合いを求める。
子供たちは自分たちの意思を出し合い意見を交わす。合わないところは折衷案を検討する。
配偶者たちは、そっと自分たちの生活も今後も考えて意見を伝え議論のテーブルに乗せる。
ごくごく当たり前の光景が新鮮だった。
ここまで来るのに埋め合わせで真剣な話をしてから7年。少しずつ距離を詰めて僕の意見が通るようになって
いかに我が家は真剣な話し合いを避けてきたのかを伝え、妻の父(義父)がガンに罹患してから
3年以内に亡くなった事、その前の準備が素晴らしく家族全員が死に向き合っていたこと等を知らせた。
僕の両親が動き、その動きを見越して兄姉に動いてもらった。
それらのタイミングが一致して、この会が開けた。
ここまで来るのに
僕が埋め合わせしてから7年
僕の回復に9年
僕が生まれてから44年
親が結婚して50年かかった。
かかった期間の全ては無駄じゃなくて意味があるものだとすると
僕はギャンブル依存症で良かった。
僕はギャンブル依存症からの回復を選んで良かった。
僕が依存症者じゃなければ家族は紡ぎ直す方法を知らず、親が亡くなった後に軋轢が生まれる兄姉関係のままでした。
親についても残された方は居場所を失い、やっかまれながら同居し、墓を建てるかどうかでケンカして
どうしようもない家族のまま終わるところでした。家族離散しか方法は無かったように思います。
今、僕たちは新しい家族のカタチを見つけました。
誰もが納得して誰もが従える新しいルールは、達筆な姉が議事を残し原紙は親が持ちコピーは兄に預けた。
僕らは新しいルールに則って、それぞれの課題に取り組む事になった。
素晴らしい平成の終わりかた。
素晴らしい令和の迎えかた。
僕は回復のためのプログラム
12ステップに、これほどのパワーがあるなんて当初は考えてもみませんでした。
回復は必ずやって来る。
ビックブックに書かれた一行を信じて真剣に回復に向き合ってみてください。
とんでもない奇跡が当たり前のように現実になります。だから、どんな困難も諦めないで下さい。
それが、このブログのメッセージです。
ちなみに墓は建てる。
その購入は子供たちで3分割する。
家は引っ越し先が決まれば潰す。
引っ越し先は中古のマンションで探す。
葬儀はドコドコ。宗派は何。どこまで呼ぶか。
ほぼ無いとは言え財産の分与方法は?
誰が何をして準備するのかまで全て決まりましたよ。
回復とハイヤーパワーに感謝。
仲間に感謝。
家族に感謝。