2011年3月11日。8年前に起こった大震災の悲劇を、僕は甲信越地方で体験した。
しかし、津波に襲われ大被害が及んだ東北の苦しみに比べたら、僕の体験はなんでもないが。
僕のお客さんは東北に集中していたので、僕は慌てて電話をかけまくった。通じるわけがない。
当時、Twitter等のSNSが通じたとの事だがガラケーしかない僕には連絡をとる手段が無かった。
動向やニュースには目を見張り都内の事務所でパソコンばかり眺めていた。最近、さちさん元気ないよね?
当たり前である。お客さんの生存確認も出来ていない。新しい市場を開拓してきた僕の自負は一気に無意味になった気がした。
そんな時にボランティアの受付が始まり僕は条件に合うボランティアを探した。
○医者、看護師、リハビリ専門職者
○心の相談員(○○資格か△△資格の方)
○がれき撤去(30才までの健康な男性)
35歳で無資格の一般職サラリーマン男性は募集スペックに入っていなかった。
持ち主不明の泥まみれのモノを拭く作業は年齢制限も無かったので、そういうボランティアばかり行ってみた。
同じグループには70才を越えた人や関西震災の時に世話になったという50代の方は居たが
30代は居なかった。僕は無資格で役に立てない自分がイヤだった。妻は専門職者でありボランティアに参加できた。
僕は自身が受けたカウンセリングのお陰で、生き方を変えるキッカケが出来ました。
これを、僕自身だけの成功体験にするのか1人でも多く苦しむ方へ少しでも楽になれる方法を体験してもらうのか。
僕の答えはシンプルでした。
1人でも多くの相談に乗ろう。
そこに資格が必要なら取ろう。
2011年は心の相談員というのは出来ませんでした。震災後1年以上経っても復興が進まない被災地
その間にコツコツと資格取得の為に勉強し、見事に合格通知を貰った時には僕自身が東北の地で倒れ
そのまま東北で入院してる時だったが。
それからも出張の度に被災地には足を運んだ。出来ることを出来るだけやる。
全員生存が確認できたお客さんの家族が亡くなったり、遠く離れた爺ちゃん婆ちゃんが心配と聞けば
出張の体裁を使って僕が顔を出し話し相手になった。
会社の人に公私混同と批判を受けたが、お客さん(公)の相談に真摯に向き合ったのは『私』なんだろうか。
お金が発生する件名だけがビジネスなんだろうか。さちさんが来てくれて助かったと思ってもらえるのは営業冥利では?
僕が活躍できる期間は意外に短かった。というよりもサラリーマンの資格持ちよりも専門職に声が掛かってるんだろう。
僕は募金や献金へと徐々に活動をシフトしていくことになる。
僕のカウンセリングは苦手な範囲がある。苦手なジャンルが存在する理由も自分自身で把握している。
得意な範囲も多く存在する。その理由も分かっている。だから僕は苦手ジャンルの勉強を重ねながら
まずは心の穴が小さい方に寄り添って体験を重ねていきたいと考えている。