ありがたい事に仲間が色々教えてくれる。

僕が忘れかけているアンバランスな心の動き

自分も他人も疲れさせる『人との距離感』

繰り返してしまう負のループも。

 

【生きづらい】という言葉がある。

【生きる】のが【辛い】のだから深刻な問題である。

なぜ生きづらいのだろう。そこを掘り下げて考えていくと

タイトルに揚げた【生きやすさ】を理解しやすくなると思われる。

 

生きづらさは大別して以下の2つに別れる。

・他人と自分の関係

・自分自身の自己評価が低い

 

 

他人との関係がうまく築けない。

あの人の下では働けない。

あの先生に怒られるから逢いたくない。

話が長いし声がデカイからキライ。

生理的に合わないと感じている。

 

自分自身の自己評価とは

他人と比べて背が低い。可愛くない。

勉強が出来ない。仕事が出来ない。

どうせ自分なんか・・・と考えてしまう。

 

 

まず日本(日本人)という気質を考えてみよう。

個性を抑えて巨大組織を作り公害や健康被害を

犠牲にしてでも高度成長期に外貨を集め

一時的ではあったがアメリカに次ぐ2位の経済大国になった。

「健康被害については仕方がなかった。会社や国に忖度しよう、お金は出すから」

「まぁまぁ、ここは穏便に。」

その積み重ねが日本人を民度を高めたのかもしれないが

しかし同時に過去の成功事例に倣い

日本人の規律が整い

こうすべき、こうあるべき論が本流となる。

日本人の大半は学校に行かねばならず

大人になったら社会貢献活動(仕事)で

お金を稼がなくてはならない。

組織に居れば、組織のルールに従い

家庭に居れば夫婦、家族のルールに従う。

 

 

そのガチガチのルールを普通とか一般と呼び本流から外れるのを嫌う。

 

その雰囲気が、個人から選択の自由を奪い

こうあるべき論の中で築く他人との関係に疲れ

こうあるべき論に疲れている自分自身にダメ出しをして

生きづらくなっているんじゃないかな。

 

日本の15才から39歳までの死因の1位は自死。

世界と比べても圧倒的に自死率が高い。

背景は、やはり【生きづらい】からか。

 

実際、僕も死ぬことばかり考えていた。

他人に疲れて自分自身に疲れて・・

だからこそ僕は自身の経験からも仮説を証明できるのだが。

 

しかし今、日本が築いてきた【こうあるべき論】は、ことごとく崩れ去っている。

 

通勤ラッシュを避けて、ゆっくり会社に来る?

むりむり。→何をおっしゃってますか?

サービス残業よろしく。はぁ?

給食は全て食べるまで居残り。虐待ですか?

体罰で言うことを聞かせるのが一番! 全然違いますけど。

これは女性の仕事。 セクハラですけど。。

 

昭和が作り上げてきた、あるべき論である。

現在、時は令和2年。コロナ禍で構造変化を求められている中

昭和40~50年代に築いた常識は、正に非常識なのです。

 

こうあるべき論は薄まっているのに

生きづらさだけが令和時代に残っている。

何故だろう。 

 

答えは簡単でした。

パワーを持ってる世代

40代後半より年齢が上の方は、こうあるべき論の中で育ってます。

あるべき論で育ち成功した先生は生徒に、社会人は部下に。

父は子に。母は娘に指針として伝えています。

日本語は行間や雰囲気も含めて実に繊細に作られているので

あるべき論は脈々と雰囲気を通じてでも受け継がれているのです。

 

生きづらい雰囲気を手放すこと。

それは、自分をゆっくり苦しめる【あるべき論を手放すこと】です。

 

しかし、あるべき論を手放すには勇気が必要です。

単なる勇気ではありません。

生きやすさを手に入れる為の覚悟が必要なんです。

 

ここで、私の経験の話をします。

私の依存が酷かった頃は、親のヘソクリを発見しては盗んでパチンコ屋へ行き

勝てば取った分を返し負けたら小さなメモを入れていました。

「1万円借りました」

次の日も次の日も、ずっとメモを入れ

繰り返した結果メモを捨てる選択肢にたどり着きました。

やがてヘソクリが無くなりかけた頃、父親からのメモが財布の中に入ってました。

「いい加減、お金を返しなさい」

そのメモを見た日から当時の彼女の家に転がり込み同棲生活を始めました。

 

数年後、私は大借金を両親に告白するもギャンブルがとめられず

借金を繰り返すようになります。その頃の僕は

「いい加減返しなさい」というメモを見た恐れを忘れられず

父親との関係で生きづらい中、自助会に通い

回復のプログラムの中で定められたステップの通り埋め合わせにいくことになります。

 

殴られても良い覚悟。勘当されても良い覚悟。

2年以上会えなかった父親に会うという今までにない行動でした。

父親は許さなかった。お金は返しなさい。

大借金は数年かけて返済し終えた後、今度はこちらから確認した。

「ヘソクリの分は幾ら返済すれば良いか。正直忘れているので教えてほしい。」

間髪入れずに父が言う。

「1000万円かな」

 

 

私は合意の上で月々1万円ずつ返済することにした。

完済するのに88年掛かるけど仕方ない。

つまり終身刑というか父親、または私が生きてる間は送金を続けろという事。

その覚悟をし行動を続けています。

 

お陰様で生きづらさは手放せていて

むしろ誰とでも生きやすい関係づくりが出来ています。

逆にもし私が経済的に苦しくなった時に

「送金を続けなければならない」雰囲気になったら

私は挽回策を提示し、すぐに交渉するだろう。

父親の、あるべき論に巻き込まれることなく

僕が生きやすいルールを提案し交渉する。

そうやって線引きされた他人との距離感は気持ちよく

自分の満足感、自己肯定感を高めてくれる。

 

自己肯定感が高まると意欲が湧いてくる。

その意欲が生きる活力となり

生きる活力の充実が生きやすさへと繋がる。

 

同じ強迫性障害を克服すべく12ステッププログラムに取り組んでいる方は

生きやすさを手に入れる為に、手放していってください。

そして、偶然このブログにたどり着いた生きづらさを抱えた方は覚えていてください。

生きやすさを手に入れる為に必要なのは

覚悟と行動です。

その覚悟と行動は独りよがりや利己的なものであってはなりません。

他人と向き合い、生きづらさの原因となる苦手を排除し

生きやすさを手に入れる為の覚悟と行動です。

 

一人でも多くの方が生きづらさを手放し

「楽しく生きています。」と言ってもらえる社会を作りたい。

 

そんなことを考えている

昭和世代のオッサンの独り言に最後までお付き合いありがとうございます。

 

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