- 2019年3月25日
- 2021年1月9日
入院~自宅療養の1年
僕は髪の毛が、うっすらと伸びかけた時に家に帰された。今後の治療は抗がん剤、テモダール治療と放射線治療。 後は、ガンセンターには関係ないが見えなくなってる右目の回復が必要でした。
僕は髪の毛が、うっすらと伸びかけた時に家に帰された。今後の治療は抗がん剤、テモダール治療と放射線治療。 後は、ガンセンターには関係ないが見えなくなってる右目の回復が必要でした。
関東に戻った僕は国立のガンセンターにお世話になることに決めた。 最もお堅いだろうし、なんといっても国立! 何かとメリットがあるだろうと打算的な考えもあったし 家からの距離や設備の充実感、キレイさが気に入っていた
小さく産まれた子供であっても、あまり大病もせず、鼻がグズグズしたりするものの順調に育ってると感じる半年。 2月には3000グラムを超え、3月には4000グラムを超えた。この子は、【ただ小さく産まれただけ】
僕は彼女の夢に乗じて仕事を辞めビザと航空券と安いスーツ、履歴書を持って海外に飛び出した(2回目) 悪くした人間関係を清算したい。 ハチャメチャな金遣いを清算したい。
20歳を迎えてすぐの渡米。 日本で成人式を迎えられないのは承知。 人生をやり直すつもりで僕は米国の語学留学を楽しんでいた。 何もかも忘れたい。ゼロからのスタートをアメリカで始める。
意識が戻った16日以来、ずっとベッドの上。 頭から取り出した検体を病理診断の結果が出るまで 何の変化もない部屋の中で僕は過ごさなければならなかった。
2011年3月11日。8年前に起こった大震災の悲劇を、僕は甲信越地方で体験した。 しかし、津波に襲われ大被害が及んだ東北の苦しみに比べたら、僕の体験はなんでもないが。 僕のお客さんは東北に集中していたので、僕は慌てて電話をかけまくった。通じるわけがな […]
僕自身がカウンセリングを受けたのは2010年。自分の症状を伝え、医者の判断を待つ というのが妻との結婚生活を続ける上での前提条件でした。いわば強制的に受けさせられたのが最初でした。
ふと目が覚めたら、病院のベッドに居た。 心音が機械から聞こえてくるし 慌ただしく看護師が走り回っているのを確認して僕は入院していることを悟った。 意識がハッキリとした2月16日。最初に知った顔を確認できたのは北海道の義母だった。
僕は逃げ回ってた高校生活で学力が落ちてしまい 第一希望、第二希望の大学に受からなかった。 滑り止めの大学に入り、やる気のない大学生活が始まる。 少なくとも高校生活で経験したようにはならないようにしよう! 小さな目標を掲げ友達作りから始める事にした。