- 2019年3月18日
- 2021年6月13日
25歳~国外逃亡その2
僕は彼女の夢に乗じて仕事を辞めビザと航空券と安いスーツ、履歴書を持って海外に飛び出した(2回目) 悪くした人間関係を清算したい。 ハチャメチャな金遣いを清算したい。
僕は彼女の夢に乗じて仕事を辞めビザと航空券と安いスーツ、履歴書を持って海外に飛び出した(2回目) 悪くした人間関係を清算したい。 ハチャメチャな金遣いを清算したい。
20歳を迎えてすぐの渡米。 日本で成人式を迎えられないのは承知。 人生をやり直すつもりで僕は米国の語学留学を楽しんでいた。 何もかも忘れたい。ゼロからのスタートをアメリカで始める。
意識が戻った16日以来、ずっとベッドの上。 頭から取り出した検体を病理診断の結果が出るまで 何の変化もない部屋の中で僕は過ごさなければならなかった。
2011年3月11日。8年前に起こった大震災の悲劇を、僕は甲信越地方で体験した。 しかし、津波に襲われ大被害が及んだ東北の苦しみに比べたら、僕の体験はなんでもないが。 僕のお客さんは東北に集中していたので、僕は慌てて電話をかけまくった。通じるわけがな […]
僕自身がカウンセリングを受けたのは2010年。自分の症状を伝え、医者の判断を待つ というのが妻との結婚生活を続ける上での前提条件でした。いわば強制的に受けさせられたのが最初でした。
ふと目が覚めたら、病院のベッドに居た。 心音が機械から聞こえてくるし 慌ただしく看護師が走り回っているのを確認して僕は入院していることを悟った。 意識がハッキリとした2月16日。最初に知った顔を確認できたのは北海道の義母だった。
僕は逃げ回ってた高校生活で学力が落ちてしまい 第一希望、第二希望の大学に受からなかった。 滑り止めの大学に入り、やる気のない大学生活が始まる。 少なくとも高校生活で経験したようにはならないようにしよう! 小さな目標を掲げ友達作りから始める事にした。
高校生の時、僕は華々しかった中学生の頃とは大きく異なり まるで階段を転げ落ちるように、『主流』ではなくなるだけでなく 学校に顔を出せないような不登校に近い生活をすることになる。
午前3時23分 自然分娩で子供を授かる事が出来ました。それまでの僕の人生を考えれば 信じられない出来事でした。 小さく産まれた子供。体重は1752グラム。低体重に黄疸や血液型不一致もあり NICUへ。
『救急車は呼ばないで下さい』 ビジネスホテルの一室で意識を失い ベットの上でスーツのまま失禁している僕を見て ホテルマンは僕の同僚にそう言ったらしい。