- 2019年3月28日
- 2021年1月9日
命の価値は12万円より低い・・
発表したメディアは忘れましたが当時の原稿を掲載します。 2010年1月5日(火)、僕は駅のホームの端に立たました。スピードが落ちる前の電車に身を投じる為でした。
発表したメディアは忘れましたが当時の原稿を掲載します。 2010年1月5日(火)、僕は駅のホームの端に立たました。スピードが落ちる前の電車に身を投じる為でした。
2年経った僕は過去のペースを越える勢いで旅に出る。体調を気にしながら活動してきた2年間。 会社も気を遣ってくれた2年間。傷跡を隠す必要もないくらい髪の毛は生え揃い僕は少し解き放たれたかった。
抗がん剤治療を終え、いわゆる薬は手放した。ここからの1年が今後の人生を分ける事くらいは分かっていた。 毎月のMRI、血液検査。3ヶ月に1回の視力検査。何もない事を祈りながら、時短勤務を解かれた僕は日常に戻った。
僕は髪の毛が、うっすらと伸びかけた時に家に帰された。今後の治療は抗がん剤、テモダール治療と放射線治療。 後は、ガンセンターには関係ないが見えなくなってる右目の回復が必要でした。
関東に戻った僕は国立のガンセンターにお世話になることに決めた。 最もお堅いだろうし、なんといっても国立! 何かとメリットがあるだろうと打算的な考えもあったし 家からの距離や設備の充実感、キレイさが気に入っていた
小さく産まれた子供であっても、あまり大病もせず、鼻がグズグズしたりするものの順調に育ってると感じる半年。 2月には3000グラムを超え、3月には4000グラムを超えた。この子は、【ただ小さく産まれただけ】
僕は彼女の夢に乗じて仕事を辞めビザと航空券と安いスーツ、履歴書を持って海外に飛び出した(2回目) 悪くした人間関係を清算したい。 ハチャメチャな金遣いを清算したい。
20歳を迎えてすぐの渡米。 日本で成人式を迎えられないのは承知。 人生をやり直すつもりで僕は米国の語学留学を楽しんでいた。 何もかも忘れたい。ゼロからのスタートをアメリカで始める。
意識が戻った16日以来、ずっとベッドの上。 頭から取り出した検体を病理診断の結果が出るまで 何の変化もない部屋の中で僕は過ごさなければならなかった。
2011年3月11日。8年前に起こった大震災の悲劇を、僕は甲信越地方で体験した。 しかし、津波に襲われ大被害が及んだ東北の苦しみに比べたら、僕の体験はなんでもないが。 僕のお客さんは東北に集中していたので、僕は慌てて電話をかけまくった。通じるわけがな […]